仕事に対する考え方の違い
先の「私の考える仕事”感”①」でも書いたが、結局のところ仕事というものの捉え方が一番の違いだったように思う。と言うと、何だか対等な関係性の中でディベートを行ったかのような錯覚になるかもしれないが、事実は全くそうではなく、どちらが上とか下とかではない、まさに「考えていることの階層の違い」とでも言った方が良いかも知れない。私は人生の中で仕事は重要だと思っているし分かりやすく仕事を例えとして挙げているだけで、言ってしまえば
”別の生命体”と対峙している
とでも言いたくなるような感覚ではあった。その理由は何なのかと考えた時に、
- 40を過ぎて定職についたことが一度もない←自分の将来を自分で決めれない
- 税金も年金も保険も自分で払ったことが一度もない←生きていくと言うことを真剣に考えたことがない
- 車などの高額商品も自分で買ったことが一度もない←結婚や子育ても含めて何かを得る・成し遂げるために収入を得ると考えたことがない
ことが原因の”少なくとも1つ”であることは間違いがない、というのが私の現在の解釈だ。そのため、特にそれについての話題については細かく掘り下げているのである。是非、それが可能なのであれば、相手方本人に意見を求めて欲しい。「私(まさに書いている私)さんがこんなこと言っていますが本当ですか」と。これはまず間違いなく、頓珍漢な答えか、鸚鵡(オウム)返しされることだろう。これは今までの私の会話からもまず間違いがないと思う。この、読解力の無さ、ボキャブラリーの無さ、コミュニケーション能力の無さも、まず間違いなく上記の3つをしてこなかったから、だと確信している。
それを端的に表している会話として、この「会話②」の解説をしていく。
【会話②】の詳細
【会話②(相:相手方、2018年1月〜3月ごろ)】
- 相「弁護士をつけることにしました」
- 私「(小声で呆れるように)また親の金使うのか、、、」
- 相「自分(私のこと)だって%△※★◎・・・」 相(相手方)
ではこの会話を解説していこう。是非、上記の「階層の違い」をイメージしながら読み進めていただければと思う。
まず、離婚に向けて話し合うことを拒否されている、ということは別項にも書いた。それでは一向に離婚が進められないので弁護士を間に入れて話を進めていきたいという意図だったのだろう(ちなみにこのタイミングでは私はとっくに自社の顧問弁護士と言う形で横に代理人を付けていた)。相手方が仕事をしていないと言うことは別項でも何度も書いたが、弁護士に依頼するなんて大袈裟なことではなくとも、自分の洋服買うのすら全て「自分の親に頼っていた」訳なので、親に頼ると言うこと自体は「またか、、」という気持ちだったのだが、子どもたちの将来を左右する大事なこと=離婚にも関わらず、自分の力でなんとかしようとせずに何十万円のために自分の親を頼り、そしてそれを我が子可愛さ故(それは皮肉を込めている。これも別項で書かざるを得ないが半分は甘やかしているその親に責任があると思っている。本当に親離れ・子離れできていない人間たちなのだ)に出してしまう親、その両方に呆れ返ってしまった。どこまで他人事なのだろうと思う。
この思考回路が分からない訳ではない。いろいろなケースでもそれは散見されるが、本当に世の中には自己中心的な考えの人が多く、それは”自分以外の何かのため”が、会話の端端から「いやいや、それは自分のためを置き換えているか、もしくはその何かをダシに使って相手を悪者にしたり、逆に自分を良く見せているだけでしょ」と言うことが分かることが正直良くある。特にこうした離婚などデリケートな場面ではそれが顕著な気がしている。こもまた別項で私なりの考えを述べたいと思う。
さて会話に戻ろう。呆れ返って本当に
相「自分(私のこと)だって%△※★◎・・・」
ここで会話が終わってしまったのだが、相手方が言いたかった事と言うと、端的に言うと、
「自分だって親に頼ってるでしょ」
と言うことをと言うことを言いたかったのだと思う。では事実を書いていこう。私は現在、小さな株式会社を経営している。始めたのはこの離婚が勃発した少し前のことだ。その事務所として、実家の一室を「有料で」借りている。元々は他界してしまった父が仕事部屋にしていた部屋だ。母親には、経理の一部を手伝ってもらっており、その手間賃と家賃・光熱費を含めて一定額を私から母に払っている訳だ。どうやらこれが、相手方には「同じ」だと思えるらしい。
「階層の違い」と訴えたかったことが少しは伝わるだろうか。例によって「相=相手方」だ。
- 相:弁護士費用など数十万円を相手方の親から”もらう”
- 私:弁護士費用(このタイミングでは相手方には私に弁護士がついていることは言っていないが)はもちろん、実家の一室をタダで借りている訳ではなく、その分を私から親に”払っている”
もう書いていて馬鹿馬鹿しくなってくるが、上記の「相と私」の内容が、相手方にとっては「同じ」ことらしい。何で結婚したのかと言われてしまえば本当に返す言葉が無いが、このような「階層の違う会話」が時折交わされているのである。何かのギャグ漫画か、もしくは怪奇現象と呼んで差し支えあるまい。
それでは計算してみよう
ではこれも本当に馬鹿馬鹿しいとは言え説明しておくと、確かにその借りている家については、建設費用などは私は一切払っていない。じゃあということで、たまため実家が空いているので使わせてもらっているだけで、その空き部屋がないのであれば他に借りるなどの手段をとることが私は可能だ。何故なら私は働いているから。
では逆に相手方はどうか。すべて、本当に文字通りの全てを相手方の親に払ってもらっている人生というのは前述した通りだが、別項でも書いた、相手方の肩書き、そう、「○○講師」についてはどうか。今は私が住んでいる家(子どもたちのために建てた)に、新築時にレッスン室と称して、完全では無いものの防音部屋を作った。建設費用に、私の親から多少の援助を頂いたが、それ以外は完全に私のお金だ(ローンなので銀行のものという議論はひとまず無視する)。私がその部屋を作ったと言っても問題はあるまい。そしてその楽器。それも相手方の親から買ってもらったものだとのこと。100万は下らないものだろう。今は算出できないので、仮にその防音部屋のみの建築費を200万としよう。ここではその楽器を100万とする。本来、何かビジネスを始めようと思うと当然ながら収支の計算をする。この場合、建築費200万+楽器100万の合計300万円、これをどうやって償却していくかと言うことはまず先に考えるはずだ。逆に、それなくして「わーい、今月のレッスン代1万3千円入ったー♬」とやって良い”はずがない”。それが、現実に起こっている訳だからもう言葉もない。これは”事実”だ。
ヤマハのサイトなどを参考にさせて頂いたが、
どうやらこの辺りが相場のようだ。ひと月に1万3千円のレッスン料を得ていると言うことは、上記を参照にすると1人もしくは2人に教えていると言うことだろうか。ちなみに、本当に理解ができなかったのだが、相手方自身もその楽器の個人レッスンを受けている。この場合大人が教わる訳なので、1万円以上と言うのが相場だろう。すなわち、
ピアノや部屋などの償却どころか、自分が得たレッスン代をそのまま自身のレッスン代として”支払っている”
という事実が浮かび上がってくるのだ。だから、私はあえてこの相手方のことを「無職」と何度も繰り返しているのだ。これは、何も音大生のことや、夫と仲良く暮らし、家計の助けにとバイオリンのレッスンをしている奥様の話でもない。
「独りで子ども2人を育てていこうとする、地球上の人間の話」だ
このような”無職”の人間に、私に全く非がないことを裁判所も認めたにも関わらず、親権がいってしまうのが今の日本の司法の考え方な訳だ。ここで犠牲になるのはもちろん全く罪のない子どもたちだ。何故か、と言うことをまた別の機会で述べていきたいと思う。
(ちなみに、私の母への支払いは決算書にもしっかりと明記してあるのであしからず。)