【NEWS】「生活が立ち行かなくなっておられる方々への支給を」 2021.3.2



また言い出した


同じく「貧困」と、抽象的な表現を使ってイメージアップを図ろうとする無能議員の記事。

記事「蓮舫氏、生活困窮者への支援を要望「生活が立ち行かなくなっておられる方々への支給を」(配信 スポーツ報知)

以下全文。

「立憲民主党の蓮舫参院議員(53)が2日までに自身のツイッターを更新。新型コロナ禍による生活困窮者への支援を訴えた。  この日、立憲民主党・無所属会派と共産党が低所得の住民税非課税世帯や新型コロナウイルス感染症により大幅に減収した世帯等に対して1人10万円を支給する「コロナ特別給付金法案」を衆院に提出したという記事を貼り付けた蓮舫氏。  「生活が立ち行かなくなっておられる方々への支給を」とつづると、「低所得世帯、困窮している学生、個人事業主・フリーランスの方や住所が確定していないホームレス、ネットカフェ宿泊者への給付を行う法案を提出しました」と続けていた。」

この”無能”の代名詞のような議員はさておき、相も変わらず「貧困」という単語を使い、

『私は弱者の味方です!!』

 

と言いたいだけじゃないかと勘ぐりたくもなる中身のない記事。

ここの投稿では繰り返しているが、「自分勝手に」離婚を希望した多くの場合は女親などは、コロナなど関係がなく貧困を「自ら選択した」だけの怠慢者だ。もちろん、念の為記しておくが、自分の意思とは関係なく貧困に陥ってしまった人は除く。身体的・精神的な問題、生活環境など不可抗力でそうなってしまった方々には当然公的支援が必要だし、何よりそれが日本国政府としての重要な役割だと言うことは論を俟たない。手厚く補助をしつつ、可能な場合には自立できるよう促すべきだと思う。

ただ、私のようなケース、この場合相手方の話だがこれは全くの別問題だ。

 

繰り返すが、このような緊急事態の状態であれば、分け隔てなく政府として全国民に手を差し伸べるべきで、いかなる状況でも差別などはもってのほかだ。

最近でも著名な某デザイナーが、

「今苦しんでいる企業は、もともと経営が危うかったところなんですよ。淘汰されるべくして淘汰されただけです」

などとしたり顔で語っていたが、その方にしてみても、「たまたま運がよかっただけ」で今の地位にいれるだけで、技術の差などその他の日の当たらない同業者と大差ない。当然のことながら、今後同じような天変地異が起こりその「弱者」の立場に陥らないとも限らない。そういう想像力が皆無なのだ。

今はまさに誰でもそのような可能性を孕んでいる訳で、今特定の誰かを攻撃して貶めてしまえば、もし立場が逆になった時には?私であれば絶対にその方を助けないだろう。「このような状況において」という前置詞が付くが、今は分け隔てなく平等に支援を行うべきだと私は考えている。

それは不正受給という




では相手方のようなケースは差別に当たらないかというと、当たるはずがない。上のように、「このような状況だから」国民全てに補助は必要だが、「貧困」などと区別をしてしまうと、間違いなくそれを装った人間が湧き出てくる。そして、補助を受けれなかった人間が、不正にしろ補助を受け取った人間にたいして攻撃的な態度を取るようになる。。と、国民の分断が始まるのだ。

そして、元々仕事をしていないような相手方のような人間も、当然のようにそれに便乗して、

「私も貧困者です!シングルです!苦しいです!」

 

と言い出すのだ。五体満足で、さらに親権を持つ親として「子どもを育てる」という使命があるにも関わらず働かない人間など、貧困でもなんでもない。ただの人間のクズ、日本国民の敵なだけだ。離婚のせいで?自らそれをゴリ押しして選択しただけだろう。

 

このような記事は、政治家のパフォーマンスであるばかりでなく、そのような「乞食」どもが間違いなく嗅ぎつけてくるから本当に害でしかないと思う。

こうして文章にしてみると、このような腐った政治家や、それにたかる乞食など、皆同じ精神構造をしていると痛感する。何一つ日本のためにならないばかりか「害でしかない」と言う点も共通だ。

本当の弱者は別にいる




これも再三繰り返している話だが、こうゆう輩が存在し、メディアが取り上げることでますます増長するので、本当に困っている人たちの立場が余計に苦しくなる。そのことを多くの人が認識するべきだ。

どこでもWEBで情報を得られる時代、このような政治家のパフォーマンスで国民間の対立を煽り、「なりすまし貧困者」が攻撃され始めると、本当の貧困者もそのような輩と同一と見られて攻撃される。そしてその先には、今得られていた補助・援助も額が減らされ対象が絞られてさらに貧困に陥っていく。

もういい加減にしようと本当に思う。この例で言えばこのような議員を当選させる都民にも大いに問題はあるが、皆が皆、情報”だけ”に左右されずに自分の頭で考える習慣をつける必要があるだろう。「雰囲気」「見た目」「抽象的」。今溢れている情報など、ほとんどがそんなものでしかないのだから。

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