【コラム】見栄とは恐ろしいものだ



あまり描きたくないが相手方のこと


過去の投稿でも何度も取り上げているが、とにかく、

”分不相応”

 

を地でいくような人間だった様だ(過去形なのは、今になってこう思い返し書き出してみると、そうとしか思えない行為ばかりだからだ)。

 

書き出してみると、

  1. セレブとの誉れ高い幼稚園に子どもを通わせる
  2. 国立の小学校に通わせる
  3. 人から買ってもらった”外車”に乗り続ける
  4. お金持ちが習わせると言われる習い事を子どもにさせる
  5. 離婚してもなお実家に戻らず、政令指定都市に住む

おおよそこう言ったことだ。

1.2については、過去の投稿にも書いたが、当日家計は相手方に任せており、金銭的に問題がないのであれば「学ぶ場所はどこでも一緒」だとその時は思っていたので、正直気にもしていなかった。ただ、子たちを入れてみて分かったのは、「やはりどこでも一緒だと思うので、幼稚園などは安いに越したことはなく、小学校も地元で学ぶ方が将来的な財産は大きい」と言うことだ。はっきり言って、”親の見栄”以外の何物でもないと今は思う。セレブの幼稚園など、そこに入れてお金持ちのみなさまと一緒になったからと言って自分もそうなれるはずもなく(そこからの繋がりにより自分も引き上げられる可能性はゼロではないと思うがここでは触れない)、小学校に至ってもある意味では同様だ。

これを言うと、

「試験を経て入った子どもたちが集まるわけだから、結果として質の良い子どもが集まるから環境がいい”はず”」

言い訳としてはおおよそこのようなものだ。確かに、質の高い”可能性”はあるかも知れないが、それにしてもあくまで「試験を通過した」というフィルター(と親の情報もあるとは思うが)でしかなく、「試験を通過した子ども=質が高い」と考える方が乱暴だと私は思う。あくまでも主役は子どもで、自分のプライドを満たすものであっていいはずもなく、将来的な影響なども考えた上で子どもと良く話し合って決めるべきだと今は思う。ここまで書いていて思ったのだが、やはりここでも、

「一度も仕事をしたことがない」

と言うことが、子どもをいろいろなステージに上ていく上でいかにマイナスかと言うことに気付いた。何故なら、その将来のビジョンすら、自身の実体験としては何一つ引き出しがなく、アドバイスも架空のもの(この場合ネットでの情報など)にしか頼るところがないはずだからだ。また別項でも書く予定だが、子どもたちと一緒にいた時すでに、子どもの将来の夢を「勝手に」決めていた様子だった。

要するに、自身が40を超えた今もそれこそ「何者にも」なっておらず、当然マネタイズどころかビジネスの仕組みすら理解していないにも関わらず、特に上の子どもに対し、

「将来は○○(相手方が月に1万円稼いでいるその講師とやら)の先生になりなさい」

 

強制していたようだ。繰り返すが、自分自身で月に数万円しか稼いだこともない業種で、一度も社会に出たこともない人間が、だ。子どもが不幸だという思いしかない。社会人未経験者”のみ”が子育てをすることが、いかにリアリティが無いことかおわかり頂けるだろうか。

その相手方の収入などは下記を参照にしていただきたい。

【コラム】私の考える仕事観

【コラム】人の自立とは

人のお金で”見栄を張る”と言う行為



3.4.5については言わずもがな、相手方の親からの資金援助、と言うか”養育”によって成り立っているものだ。離婚をし、年収が50万円になってもなお、某ドイツ車に乗り続け、年間数十万円は必要な習い事を子どもにさせ、政令指定都市に住まわせる。言い訳は良くわかる。

  • 人から買ってもらった”外車”に乗り続ける

→「まだまだ乗り続けることができるから乗っている」

  • お金持ちが習わせると言われる習い事を子どもにさせる

→「子どものため!」

  • 離婚してもなお実家に戻らず、政令指定都市に住む

→「子どもの環境を変えたくない!子どものため!」

と、まぁこう言うことだろう。

「子どものためを思うなんていい親なんだ」なんて誰が思うのか。1人で子どもを2人育てようと思ったら、まず仕事の確保、実家のサポートが可能なのであれば実家、もしくは実家近くに住う、子どもの習い事よりもまずは子どもを飢死させないだけの環境づくり、、、ここから見直し考えるのが本当に子どものためではないだろうか。繰り返すが、

「1人で子どもを2人育てる、年収50万円」の人間がする行為では絶対にない。これ、自分自身の「見栄」以外に理由があるとお思いか?断言してもいいが、

「絶対にない」

 

私には本当に理解が出来ないので、この辺りの心理を是非ご教示頂きたい。

と言うことで、一般的な意味での「見栄を張る」と言う行為、一度整理してみたいと思う。

 



見栄を張ると行為の裏側には


と言うことで「見栄を張る」その心理状況とは一般的に、

  1. 周りより有利に立ちたい

  2. 劣等感を持っている

  3. 注目されたい

というところに集約されるだろうか。

もちろん、人間は誰しも少なからず見栄を張る生き物だとは思うし、もちろん私自身も特別意識をしたことはないが、日々の生活や何らかの行為の裏側には「格好つけてやろう」という思いが見え隠れているのではと思う。そもそも、お洒落をするしない以前に、服を着る行為そのものが、「見栄を気にする」行為と言っても言い過ぎではないだろう。誰でも思い当たる節はあると思う。

当然その「見栄を張る行為」が、場合によってはいい様に転がる、例えば身に付けるものによってそこから他社との会話が生まれ、何らかの商談に結びつく様な場合などだ。だから必ずしもその行為が全て間違っているともやってはいけないとは思わないし、むしろ上記のように必要な場合だって多々あるはずだ。ただ、その使い方を間違ってはいけない。時には人を貶め傷つけ、恨みを買うケースも少なくないからだ。

この、相手方の行為はどうなのだろう。少なくとも、

「自分自身の身勝手な行為の先にある、”無職の親”という事実」

「収入が極端に少ないにも関わらず、無駄に車に乗り高いお金を払って習い事などをさせている事実」

 

こればかりは逃れられないまさに、”事実”だ。

ここで、あえて「見栄を張る」と言う行為の意味を調べてみると、

  • 見栄を張る:うわべを飾る。外観を繕う。
  • 虚勢を張る:自分の弱い所を隠して、外見だけは威勢のあるふりをする。からいばりをする。(goo国語辞典より)

結局のところ、子どものことなど露ほども顧みず、自分自身が人にどう思われるか”だけ”を優先した結果が今の状況と言うわけだ。見栄を張るのも結構。虚勢を張る場面も人生ではいくらでもあるだろう。ただ、子どもを不幸にするほどのそれは、まさに滑稽としか言いようが無い。

私自身も好き勝手こう書き並べて、改めて自分自分を見つめ直す良い機会となった。

子どもを育てると言う行為は、生半可な気持ちでは絶対に成り立たない。何よりもまず「子どもを優先にする」という思いだけは、今後、子どもを授かる機会があれば忘れずに持ち続けていきたい。


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