10.円満調停後の生活【寝室問題など】


円満調停が終わって


私から申し立てた「円満調停」が不調として終了し、一旦は元の生活に戻る。2017年の11月に始まったそれは、3回ほどの調停委員を交えた調停を終え、2018年の春ごろに終わった訳だ。とは言っても同じ屋根の下で、破綻した夫婦関係の元、子どもと過ごすことになるのだが、相変わらずの相手方から子どもたちへの「吹き込み」は継続中。

円満調整については下記に書いた。

9.夫婦関係調整調停(円満)とは。調停委員との会話など

それまではかろうじて、私、相手方、子ども2人が同じ寝室で寝ていた。私の家は、極力部屋数を減らして設計していたので、壁を新しく立てる以外、囲われた部屋はない状態だった。

そんな中突然相手方は、「天井高1300mm程度、窓も換気扇もない、かろうじてエアコンはある部屋」へ寝室を移したのだ、なぜか「子どもたちを連れて」

寝室を別にしたいと言う気持ちは、このような関係性になった以上、理解もできる。ただ、なぜ子どもたちを一緒にその「居室」でもない部屋に連れていくのか。

 

以前知人に、上記のことを話した。

知「え?なんで子ども連れていくの? 1人でいけばいいじゃん」

誰しもそう思うだろう。当たり前だ。

まず、寝室として作られていない部屋なので、環境が良い訳が無い。もともと、TV部屋として作った、いわゆる「居室」にみなされないよう、天井高を1400mm以下に抑えた納戸のような部屋だ。上記の通り、壁などに囲われた部屋が寝室以外に無かったので、そうすることも仕方ないだろう。ただ、

「1人で勝手に寝室を変えろ」

 

誰しもそう思うだろう。ここでも、子どものこと、この場合は体調や成長の環境などのことだが、何一つ考えずに「自分の気持ち=寝室を変えたい!」を最優先にしていることが証明されたわけだ。おそらく、これも別項で書く予定だが、先々のことなど、考えていないわけではなく、「考えられない」これが正解だと思う。

この寝室の場合、換気扇はおろか窓もない部屋なので、例えば寝たところで朝日を感じることができない。身体のリズムが狂うことくらい誰でも想像がつくだろう。さらに、横になるとすぐ目の前に天井が迫っている。カプセルホテルを想像すれば分かるだろうか。極め付けは、床が畳ということだ。

このように、

  • 子どもをわざわざ巻き込むこと
  • 子どもにとって何一つとして良い環境ではないこと

から、再三「やめて欲しい。子どもにとって良いわけがない」ということをメールで伝えていたのだが、全く聞く耳を持たない。

さすがにこれはまずいと思い、児相(児童相談所)にも「これは虐待では?」と訴えにいくが、想像の通り、この程度では介入ができないとひとまず引き下がってきた。

さらに、ご丁寧に「その納戸で寝る用のマットレスと布団、枕」を、相手方”親”が買ってあげたようだ。

そう、

”この一家は、本当に頭がいかれている”

 

のだ。



 

当然かわいそうなのは子どもたちで、私と子どもとの生活はそれまでと変わらず、上の子どもの朝の朝食、駅までの送迎は私の担当していたので、「その納戸のような部屋から朝子どもが起きてくる」という、おぞましい生活が続いた。

 

子どもの変化




子どもの心理状態あどうだったかというと、私の目から見て、

「完全におかしくなっていた」

 

具体的には、

  • 明らかに顔が引きつっており力のない目をしていた
  • ずいぶん前の投稿に書いた通り、「お父さんと喋ってはダメ」「お父さんの言うことを聞いてはダメ」などと吹き込まれていたので明らかに気を使った態度をとっていた

というようなことだ。はっきり言って、

「子どもを愛するまともな人間であれば、明らかに異変に気づく状態」

 

であったのだ。もう言うまでもないだろう。それを分かってか分からずか、再三の私からの「子どもを巻き込むな」という忠告を無視し、自分の我が儘のために”だけ”にやっていた。

念の為付け加えておくと、上記の子どもの状態は、寝室が別の状態で、私が朝早く起き、後から子どもが起きてきて朝ごはんを食べて家を出るまで、そして夜、習い事を済ませて「23時ごろ」に帰ってきた際に私が感じたことで、一歩家を出ると「全く」そんなことは無かった。明らかに、

「相手方が同じ家の空間にいるから、何かがバレてはいけないからと気を使っていた」

 

ことは明明白白だろう。実の子どもに、ここまでのことをしていたのだ。

それでも子どもは可愛いもので、起きてくると即座に、椅子に座る私の膝にのってきたものだ。本当に可愛かった。きっと、そんなことを言う相手方と、寝心地の悪い空間で寝かされて疲れもとれていなかったのだろう。(いやらしい話だが、証拠のためにこの時の映像はかなりの数を保存している)

さらに、上に書いた通りだが習い事の日は帰宅が22時〜23時になる。この時、下の子どもももちろん一緒に連れていかれていた。習い事の最中は、ショッピングセンターに言って時間を潰していたようだ。当然、子どもは寝不足だ。この時、上の子どもは9歳、下の子どもは6歳。まさに育ち盛りの年齢だ。当然、「子どものことよりも自分の気持ちを優先させる」ような、狂った人間だ。それについては「何も感じていなかった」と思われる。

私も見かねて、

「せめて下の子どもは私が夜寝かしつけるから、連れていくのをやめろ」

と言ってもそれも「無視」されるような有様だ。このような人間が「人の親」の顔をし、さらに「○○講師」と、子どもに楽器を指導している立場にあると思うと、恐怖を憶えない人がいるだろうか。

これを「虐待」と呼ばずに何を虐待と定義するのか。例えば体罰、折檻などは、主には肉体的な暴力だと思うのだが、こうした子どもの内面を破壊するような暴力は、将来にわたって子どもに与える影響は大きいと思っている。

 

それでも土日は私との時間を過ごしていた


平日はそんな状態が続きながらも、土日は基本的に子どもたちと一緒に過ごしていた。土日も仕事があることがままあったので、当然仕事場にも子どもたちを連れていき、仕事仲間たちと本当に仲良く、そして周りも可愛がってくれていた。

当然そこには相手方の影はないので、本当に無邪気にはしゃいで、たまには私にも冗談で強いことを行ってきたりと、当たり前の親子関係を楽しんでいた。

印象的な子どもの発言がある。

上の子どもは、相手方からその「○○」を習って?いたのだが、ある時相手方から、

相「△△(子どもの名前)に○○(楽器)を練習させてください」

と、土日に子どもたちと一緒に過ごす私へメールがきた。土日は仕事は当然のこと、仕事が無い日でも基本的にはキャンプや山、アウトレットモールや観光地などに出かけていたが、夕方には帰るようにしていたので、子どもの練習の時間を奪っているつもりは毛頭無かったのだが、これはあくまで推測として、

  • 相「お父さんが○○の練習させてくれないんでしょ?そうなんでしょ!?」
  • 子「・・・うん。。。」

というやりとりが、「まず間違いなく」おこなわれていたのだろう。そこでその子どもの発言だが、

  • 私「△△、○○の練習しなくていいの?今からしてきなよ」
  • 子「いいの、やらなくて。(と言って練習の部屋にいき、あたかも練習をしたかのように、楽譜などをずらして置いたりしていた。相手方に練習をしていないことがバレないように。)」

 

さて、もちろんこのやりとりも音声で残っているのだが、これを読んでいる方は意味が分かるだろうか。再三書いてきているように、相手方は「○○講師」という肩書きの元、その仕事で「年間20万ほど」を稼いでいた。それを仕事と呼ぶかどうかはまた別項で書くとして、その生きてきた40年間ほどを、「○○をやって努力している私」という、屈折した思いの元やってきて無駄な(本当に無駄だ)プライドだけが大きく成長していっていたのだろう。その、自分一人だけでも食べていけないような「職業」を、自分の子どもにまで「無理やり」押し付けていたことの証左だとみて、まず間違いはない。子どもはなぜ○○をやっていたかと言うと、これも子どもとの会話の端々から、

「音楽は好きだけど、どちらかと言うと相手方のためにやっている」

 

と、私は感じていた。別に毎日練習しなくても、楽しめればいい、おそらくそのような気持ちだったのだと思う。これはもう悲劇でしかない。

ちなみに相手方は、「子どもの意思を尊重する」=「言わせたもの勝ち」という認識だったようで、上記のような同調圧力のような、言ってしまえば「脅迫」をすることが多々、あった。子どもに言わせてしまえさえすればOK、ということなのだろう。「ほら、子どももこう言ってるでしょ」というわけだ。これが、私への悪口の吹き込みなどから継続的に、そして今現在も行われていると思うと、それに対して法律では何もできない現状があまりに虚しく、自分の無力を呪うほかない。

そんな、子どもにとっては極めて不健全な環境下での生活が続くのだが、やはりと言うか、相手方から「夫婦関係調整調停(離婚)」を申し立てられることになる。これはまさに想像通りだった。

さらにこの後、

  • 相手方に弁護士がついた
  • その相手方弁護士を完全に論破して引き摺り下ろした

という状況を次回は書いていきたい。



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