なぜ「女性=弱者」という見方に異議を唱えないのか
さて、何度も書いているが重要なことなので再度書かせていただく。
私の場合、
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私に強い養育の意思がある
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子どもを養うだけの収入がある
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周りに助けを求められる近親者がいる
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子どもと良好な親子関係を築いていた
にも関わらず、無職の相手方に親権を奪われたわけだが、その判断はもちろん裁判所だったとしても、その根底にあったのは「子どもの親は母親であるべき」という、あくまでも”考え方”があったのは間違いがない。
この「離婚弁護士110番」にわかりやすく書いてあるが、このいわゆる「母子優先の原則」というものは、文字通り母子”優先”とされているだけの、あくまでも一般論という位置付けだけであるはずなので、当然のことながらそれぞれの夫婦間にそれぞれの問題が内在していることを考えると、かなり慎重に判断をしなければならない。ただ、それだと判断に膨大な時間を要するので、その”原則”に習い、かつ過去の判例に習うことで簡素化している、と私は思っている。
ようするに「母親を優先的に親権者に」というだけのことだが、ここで思うのは、ニュースなどでも毎回感じられる、「女性=弱者」という構図すら意図的に醸成されていったものではないか、ということだ。
たとえばこのニュース。
記事「養育費不払い解消へ法改正」(2020年6月30日 午後0時45分 福井新聞ONLINE)
以下、記事全文。
「政府がまとめた「女性活躍加速のための重点方針2020」の全容が30日判明した。離婚後の養育費不払い問題の解消に向け、法改正を検討すると明記した。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、夫から妻への暴力が増えている実態を踏まえ、対策の強化も盛り込んだ。「すべての女性が輝く社会づくり本部」(本部長・安倍晋三首相)を近く開催し決定する。離婚相手から養育費を受け取れないことは母子家庭が貧困に陥る要因の一つとなっている。厚生労働省の2016年度の調査によると、離婚した父親から養育費を受け取っている母子世帯は24・3%にとどまる。」
別の投稿でも取り上げたが、この記事についてはまず前提条件が記されていないので安易にコメントはできない。特にこの、「離婚相手から養育費を受け取れないことは母子家庭が貧困に陥る要因の一つとなっている。」と言う部分、特に私のような、
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私に強い養育の意思がある
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子どもを養うだけの収入がある
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周りに助けを求められる近親者がいる
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子どもと良好な親子関係を築いていた
というケースだと仮定すると、
「それを想定して離婚を決めた訳だから、他人のお金を当てにした子育てなど根本的に筋違いだし、そもそも親として明らかに欠陥がある」
私からであれば、ここまで言っても許されるだろう。
”親として欠陥”と言う部分については、これはあくまでも私の所感だが、子育てにはそれほどお金がかかるわけではない。はっきり言って、自分1人が自立して生きていけるだけの収入があれば、贅沢をせず、周りの家庭環境に追従することをしなければ問題なく子どもの生活は可能、と言うのが、約10年間子育てをしてきた私の素直な感想だ。では、「養育費=他人の金を当てにしなければ子育てができない」という文句は様々な場所で見られる表現だが、自分1人だけ生きていくだけの生活スキルがない、もしくは単に働く気がない、と言う人間は、
「そもそも親になる資格などない」
と思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。もちろん、何らかの対外的・身体的理由により、「子どもを守るため」に仕方なく離婚したようなケースは除く。投稿でも何度も書いているが、そう言うケースに「のみ」公的な補助は必要だと思う。
この投稿にも書いたが、まさにこの、「離婚した女性=シングルマザー=貧困」だからこその支援が必要、と言う考え方は、非常に危険だと言わざるを得ない。今日の別の投稿でも書いた、まさに「イメージ」「雰囲気」だけでそれを感じて、また同調している輩の何と多いことか。
これも繰り返しになるが、このブログ全体に書いてあること、特に離婚関係の投稿については、嘘や誇張などは一切なく掛け値なしに全てが事実だ。これを見てなお、もちろん相手方に実際に会うような方、同じようなケースのこの場合「女性」と対峙する方、それでも「女性=弱者」「男親=悪」だと感じるのだろうか?是非その理由を教えて欲しい。
続いてこの記事。
記事「養育費の支払い「原則義務化を」 共同養育で提言「離婚しても親には責任」」(2020年6月25日 20:42 京都新聞)
以下、全文。
「離婚後も親が協力して子育てに取り組む共同養育の支援拡充を目指す超党派の議員連盟は25日、法務省で森雅子法相と面会し、養育費の支払いや親子の交流継続の原則義務化などを求める提言書を提出した。離婚したひとり親家庭が養育費の不払いなどを背景に貧困に陥るケースがあることから、提言では裁判所を介さない協議離婚の場合でも、養育費の支払い、別居する親子が触れ合う「面会交流」に関する取り決めを原則義務化するよう指摘。実現に向け、公的機関による相談・支援体制の強化も求めている。
議連メンバーの嘉田由紀子参院議員(滋賀選挙区)らが森法相に提言書を手渡した。会長代理を務める国民民主党の泉健太政調会長(衆院京都3区)は「離婚後、親子が会いたいのに会えなかったり、子育てに苦労したりするケースがある。離婚しても親には引き続き責任があることを全ての親が受け止め、養育費と面会交流の双方を進めなければいけない」と述べた。
橋本聖子男女共同参画担当相にも同様の申し入れをした。」
ポイントは、養育費「のみ」を取り上げているわけではなく、あくまでも「養育費と面会交流をセットで原則義務化」と言っているところだろう。さらには男女共同参画担当大臣にも申し入れた、ということだろうか。この「男女共同参画」というのもご存知の方も多いかもしれないがかなりの曲者で、「男性蔑視」の隠れ蓑になっているのでないかと邪推している。字面を見る限りなんとなく意味は理解できるが、そもそもは男女平等を推進しようとして施行されたものであるはずが、まさにフェミニズムの象徴のような捉え方になってしまったからか、水戸黄門の印籠よろしく、フェミニストたちのシンボルのようになっているのではないだろうか。
そこに対して、「あなたたち、男女平等を掲げているなら当然これも理解できるよね?」という意味でのこの申し入れであれば、その意義はあるのではないかと感じた次第。はてさて時間はかかるだろうが、行く末を見守りたいと思う。
私が疑問に思うのは、いわゆるフェミニズムに寄った考え方の人たちは、特にこのネット社会において、様々な場所で、時には場違い・勘違いの発言が散見されるが、「女性の地位向上」を強く訴えているわりに、こうしたまさに女性蔑視とも取れる「シングルマザー=貧困」のような表現に、全く声を上げないのはなぜなのだろうか?
素直に疑問に思うので、是非そのような活動をされている方、ご意見を頂けると幸いだ。
”親”として何よりも大事なこと
と言うわけで、まさにその”雰囲気”だけで様々な重要なことが決まっていくので当然、私のような別居親には不利になる。何より「シングルマザーさま」な状況であるから当然だ。
繰り返しになるが、親として何よりも重要なことは、”愛情””母性””母親であること”などと言った抽象的なことではなく、
”お金”
だと言うことを強調しておきたい。なぜかお金の話はタブー化される習慣があるが、お金がなければ食事もままならない。当たり前だ。当然、結婚などできるはずがない。子育てなどいわずもがな、だ。男性、女性どちらかに寄生して生きてくことを望む人間が一定数いることが分かるが、”何か”があった時、最後に頼れるのは自分自身しかない。
その部分が軽視どころか、何一つ議論の俎上に載らないことが本当に恐ろしいと思う。最後は国にたかれ、という裁判所の意思なのだろうか?
私の相手方のようなケース、
「子どものことなど何一つ考えずに、自分のわがままだけで離婚をする」
という場合、養育費、国・行政からの補助などにたかろうとするのだが、何かに似ているなぁと思ったら、まさに働けるにも関わらず生活保護を受け取る連中と、構図としては全く同じだ。ようするに、そのような”シングルマザー”は、はっきり「乞食」と同じだと私は思う。
そのような輩の声にまともに耳を傾けるからまともな行政判断ができるはずもなく、それがさらに乞食どもを増長させる。乞食どもは子どものことを考えているフリをする裏で、自分のこと”しか”考えていないので、当然面会交流なども円滑に進まない。それがまた親子の分断につながる。
この構図、もちろん全てのケースが同じだとは言わないが、近しいケースはよく耳にする。
そこのあなた、何となく”雰囲気だけ”で物事を判断すると、選挙も全く同じだが取り返しのつかないことになる可能性があることは肝に銘じておくことだ。
誰しもその立場になる可能性は充分にあるのだから。