相手方が行っていることは明確な虐待だ
1回目の面会交流が終了。
日にちは9月12日(土)10時〜11時の1時間のみ。
場所は近所の公園にて。
上の子どもとは約1年と7ヶ月振り、下の子どもとは、「強制的に誘拐されて」から約1年と2ヶ月振りの再開となる。
本来、この”再開”と思えること自体が異常であり、
「民法 親族 第766条【離婚後の子の監護に関する事項の定め等】
① 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
② 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
③ 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前2項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
④ 前3項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。」
「子の利益を最も優先して」と、この民放にもある通り、子どもの気持ち、精神状態、育成などを何よりも優先的に考えなければならない。書くまでもなく当たり前の話だ。
何より、子どもとの関係は極めて良好で、上の子どもについては会えなくなるまでは当たり前のように学校の送り迎えをしていたし、下の子どもにしてみたら、また別項で詳しく書くが、「裁判所・相手方弁護士・相手方」により強制的な誘拐により無理やりに連れ去られて以来ということで、楽しみというよりも、何か変わったことはないか、表情が曇っていないかなどの心配の方が大きかった。
結果から言うと、やはり会った数分はぎこちない雰囲気ではあったものの、その後は当たり前のように公園の遊具で遊び、
- 私「マスク取ってもいいよ」
- 子ども「○○(上の子どもの名前)〜、マスク取っても良いって〜」
という書くのも馬鹿らしいが、親子の関係にすぐ戻ることができた。
動画にも取ったが、そこには当然、2回目の離婚調停で相手方が主張してきた「虐待」が過去にないことを証明するかの如く、普通の親子関係であったわけだが、ここでこの「面会交流を拒む理由」を考えてみたい。
最大の原因は女親を増長させていることにある
まず、たびたび取り上げている「単独親権制度」により、
「親権者になった同居親が、自分”だけ”の子どもだから、何もしても私の自由」
と思っていることがまず1番の理由だろう。これはまさに単独親権の最大の欠陥の一つで、子どもという独立した人格にも関わらず、多くの女性、とくに相手方のような社会的な居場所がないような人間にとっては、唯一の拠り所、実は自身が何よりも依存しているにも関わらず、「私がいないと生きていけない可哀想な子どもたち!私の言うことを聞きなさい!」というような屈折した支配欲が生まれてくることにあると私は思っている。
という訳なので、「私(相手方)は会わせたくない=子どもたちも会いたくないはずだ」と思い込み、もしくは子どもたちに思い込ませようとする。
はっきり言って、「結婚制度など、究極の欠陥制度だ」と断じてしまえば全て終わり、というくらいこの制度は男親に完全に不利にできている訳だが、それでは話が進まないのであえてそこには深くは触れず進めていく。
本来であれば、子どもが親に会うことは当たり前で、特に私のようなケースのように、近くに住んでいるにも関わらず、相手方のその態度のせいで、
「お父さんに会うことは特別のことなんだ」
と思い込ませていることが大問題だ。これは、はっきりと万死に値する明確な「子供への虐待」だ。これを虐待だというと、法律家などは二言目に「それは民放では規定されていないから」というようなことを言ってくる訳だが、人間の行動全てが法律で規定されている訳ではない。これは、その人間の人格、生き様、倫理観の問題なのだ。
この、子どもへの悪口の吹き込みから始まる「相手方から子どもたちへの虐待」が、子どもの心身を蝕み、将来的に何らかの症状として出てくる可能性が高まることくらい、馬鹿でも分かる。まともな生き方をしていれば、いや、人間としての尊厳さえ持ってさえいればそれが愛する子どもたちにとって害悪でしかないこどが分かるはずだ。と言うことは、
相手方(とその親、相手方代理人)は人間ではない
と断じてもいいだろう。
今回はあくまでも「備忘録」として、番号を降っている投稿が追いついてきたらそちらに組み込む予定なので詳しいことは省くが、こうして頭で整理し(できていないが)文字にすると、新たに浮かび上がってくることもある。
相手方と親、結局親を頼る人生しか歩ませることができなかった親の育て方、など、ゆくゆくは記事にしていきたいと思う。