東京地裁
東京地裁による判決があった模様。
記事「単独親権、違憲と認めず 国賠訴訟、原告男性敗訴 東京地裁」(2021年配信 時事通信)
以下、記事全文。
「離婚後は片方の親だけが親権を持つ「単独親権」を定めた民法の規定は憲法違反などとして、親権者になれなかった男性が国を相手取り、165万円の賠償を求めた訴訟の判決が17日、東京地裁であった。松本真裁判長は「違憲が明白とは言えない」として、請求を棄却した。松本裁判長は、親権は子どもの利益のために行使しなければならない制約があり、憲法が定める他の人権とは本質が異なると指摘。民法で定めた単独親権の趣旨は、離婚後の父母の関係が良好でないことを前提に、子どもの教育などで適切な判断ができるようになる点にあるとし、「立法目的に合理性が認められる」と判断した。 その上で、父母双方に親権が残る「共同親権」については「国会による合理的な裁量権の行使に委ね、待つ段階にとどまる」と言及し、単独親権は違憲との主張を退けた。法務省は現在、共同親権導入の可否について検討している。」
同じくNHKより。
記事「“単独親権 憲法に違反せず” 父親の訴え退ける 東京地裁」(2021年2月17日 19時32分 NHK)
以下、記事全文。
「夫婦が裁判で離婚した場合に裁判所が父親か母親のどちらか一方を子の親権者と決めるとした民法の規定をめぐって、親権を失った父親が国を訴えた裁判で、東京地方裁判所は規定は憲法に違反しないと判断し訴えを退けました。都内の50代の男性は裁判で離婚が成立した際、2人の子どもの親権者は元妻とされ、裁判所が父親か母親のどちらか一方を親権者と決めるとした民法の単独親権の規定は法の下の平等を定めた憲法に違反するとして国を訴えました。判決で、東京地方裁判所の松本真裁判長は「別居後の父と母が子の養育に関して適切に合意できず、子の利益を損なうことを避けるための規定で合理的だ。離婚した父と母が共同で親権を持つことを認めるかどうかは国会の裁量に委ねるべきだ」と指摘して、憲法に違反しないと判断し訴えを退けました。共同親権を認めるべきかどうかなど離婚した後の子の養育の在り方については今月、上川法務大臣が法制審議会に諮問し今後、幅広く議論が行われる見通しです。」
時事通信の記事もNHKの記事も、何か恣意的な気持ち悪さを感じるのは私がこの立場だからというだけでは無いだろう。
また別項で取り上げるが、今回の森喜朗オリパラ組織委員会元会長の報道各社の異常なまでの悪意ある記事と全く構図は同じだと感じる。
時事通信などは、
「親権者になれなかった男性」
と、わざわざ悪意を隠そうともせず表現しているあたり、確信犯だろう。メディア各社は何か男に恨みがあるのだろうか??
さらにNHKに至っては偉そうに、
「離婚後の父母の関係が良好でないことを前提に、子どもの教育などで適切な判断ができるようになる点にあるとし」
などと『裁判所による綿密な調査や裏付けにより、”適切に”どちらかの親権を決めた』と言わんばかりの傲慢さ。ほとほと呆れ返る他ない。
そもそも「子の利益」とは?
この、
「子の利益」
のような「子の」「子どもの」という言葉はまさに、遠山の金さんの「黄門」よろしく、有無を言わさぬアンタッチャブルなものとして使われている節があると感じる。
この原告の方々の実情を詳しく知る訳ではないが、離婚し親権は相手方に取られ、子どもに会えない状況にあるが故にこの回の裁判になったはずだ。ということは、「元々、自分自身が親権になる意思があり、また相手方に真剣が渡るとこうなること=相手方が子どもに会わせなくさせる」、ということが想像できていたのではないだろうか。
少なくとも、私はまさにその通りの状況な訳だ。ということは、この「子の利益」というはまさに名目だけの話で、「女親が親権者になる」ということが大前提で、その他のさまざまな要因などはまさに後付け、調査らしい調査など何もしない上で、
「適切な判断をして親権者を決めた」
と勝手に自己陶酔に陥っているだけなのだと思う。少なくとも、裁判所内の人間に、本気で、それこそ自分の立場や子どもに置き換えて、まさに「子どものため」に動いている、仕事をしている人間など、私の知る限り「1人も」いない。そこには、それなりの学位を取得し、「国家公務員」という資格を得ただけで自分を上流階級だと勘違いしているただのサラリーマンしか、いない。
そこの裁判所に勤めているあなた、どうぞ反論してご覧なさい。私の場合に限って言えば、
- 子供との関係が良好(証拠動画など多数あり)
- 小さいながらも会社経営
- 自転車圏内に祖母あり
と、
- 子どもへの私の悪口の吹き込み(証言音声あり)
- 職歴ナシ
- 離婚問題勃発より3年間、定職に就く意思ナシ
これを比較し、どちらが適切だと判断するのだろうか?あなた方裁判所の人間は、「女性による親権者」ありきで判断しているとはっきりと申してみよ。これを、どちらにも性別を付けずにアンケートでも取れば満足か?
付け加えると、こと「教育」これも曖昧模糊とした表現であるとは私は思うが、何をもって「教育」と言っているのだろうか。いい加減、耳馴染みの良さだけで言葉遊びをするのをやめよう、と言いたい。一緒にいることが「教育」なのか?高等な教育を受けさせる、良い大学に入らせる、、何でも良いが、どこまでも行ってもこのブログで繰り返す、
「食いっぱぐれないため」
これ以上の目的など、ない。「立派な大人」「良い大人」「良識のもった大人」などの抽象的な表現など論外だ。言い方は何でも良い。「きちんと仕事に就いて自立した人間になること」、これに対して疑義があるようであればぜひコメントをいただきたい。
ということが前提としてあるならば、職歴ナシ・元無職の人間に、あなた方の言う「教育」など、
「絶対に不可能」
だろう。これが、裁判所の輩が言う、合理的な判断とやらなのだろう。
最近の色々なニュースを耳にすると、私は革命家ではないが、司法・行政・立法府の人間は一度全て解体した方が良いと強く思うようになった。国民を馬鹿にし弱者を装う穀潰しどもを擁護するその姿勢や考え方には反対の声を上げ続けようと思う。