今の”離婚”に対する感情
離婚を経験して思うこと、残ったことと言えば、一言で行って「憎しみ」以外の何もない。よく言われるような、
- 「子どもにとってはこれでよかった、、、」
- 「相手を思うと、、、」
- 「こちらにも非はあるし致し方ない結果だから、、、」
という類の事実や感情は一切無い、と断言する。
最初に断っておくが、離婚に至る原因として取り上げられる、
- 暴力
- ギャンブル
- 浮気
など、おおよそ想像のできる理由は【一切ない】。
相手方の当初の主張としては、
「モラハラ」
であった。
この、”モラハラ=モラルハラスメント”についても、別項で書いているので参考にして頂きたい。
これは合法的な虐待だ
さて、結論から申し上げると、
「子どもに対する何ら非が私に無いにも関わらず、裁判所の極めて理不尽な判断により、無職の相手方に親権を奪われた」
これが現在の私の置かれている状況だ。
逆に相手方や相手方弁護士、裁判所がどんな事を私に対してしてきたかと言うと、
- 子どもたちに私の悪口を吹き込み、強制的に私と子どもと距離を置くようにした(相手方)
- その子どもの精神に極めて悪い状況から逃すための手段も、裁判所の”極めて許されざる理不尽な判断”により無視された(裁判所)
- 再三にわたり「子供は無関係だから巻き込むのはやめろ」という私からの
警告は無視し、エスカレートしていった(相手方、相手方弁護士)
などなど書ききれないほどの”事実”があるのだが、少しずつ詳細を記していきたいと思う。
今回のタイトルにもある「始めた理由」だが、
- 相手方の子供を完全に「二の次」に考えるあまりの身勝手さ
- 裁判所の考え方とこの日本国の闇
- 弁護士の仕事とは
- 人との自立とは
- 結婚できる人、してはいけない人
- 仕事とは
と言う、離婚を経験し様々な事に疑問を持ち、自分なりの考えもまとまってきたこともあり、特にこのご時世、お悩みの方も多くいらっしゃると思い、参考にして頂きたいと思ったからだ。
また、子どもたちが大きくなった時に、
「自分がなぜこのような境遇にならなければならなかったのか]
と疑問を持った時に、敬意を説明する資料としても残したい、と言う思いも
少なからずある。
どちからに非があるわけではない、ただ自分が「離婚したい」という思いだけで、この日本の法制下では親権取得が有利な方が、子どもをダシにすることで子どもの人生を大きく狂わせてしまう。
当然ながら、片方の親と会う機会は絶たれ、残った親に気を遣う生活を強いられる。
これを「虐待」だと言わずに、何が虐待だと言いたい。大罪では無いのか。
全く理解はできないが、人間が持つ”ある”感情が、このような非道な行為に及ぶのでないか、自分の仮説をこれから解説していきたい。
質問だが、
「これ以上の虐待がありますか?」
「あなたなら、この状況下、無職の親の元で子供は幸せになると思いますか?」
「そして、無職の親の元で育ちたいですか?」