4.子どもたちへ対する明確な”虐待”開始

「虐待」とは何かを考える


さて、「虐待」と聞いてなにを思い浮かべるだろう。親から子供へ、強いものから弱いものへの物理的な暴力を連想されるのが一般的であろうか。

Wikipediaによると、

「虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)とは、繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである。具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいう。」

と言うことだそうだから、大きく外れてはいないだろう。

時折ニュースなどで目にするものも、親が相手の連れ子に対してのものであったり、教師から教え子に対するそれであったり、はたまたその先に児童相談所が話題になったりするのでおおよそ皆の共通認識としては共有できているのではないかと思う。

私の場合、相手方から子どもたちへ、真っ先に行われたのがまさにそれであった。ただ、いわゆる肉体的なものではなく、

「子どもたちへの私に対する悪口」

という、場合によってはそれよりも凶悪でかつ、精神的に子どもたちを追い込むもの、もっと言えば、こうした夫婦間の問題に、「あえて」子どもを巻き込み自分の立場を有利に持ち込もうとする極めて「自己中心的な考え」であったことは言うまでもない。

 

離婚に向けた話し合いより”先に”子どもたちへの悪口の吹き込みなどが始まる


具体的には、ことのはじまり〜その②〜で書いた離婚に向けて動き出したのが2017年の9月が終わる頃だったと記憶するが、その直後からそれが始まる。どのようなことかと言うと、

  • 「お父さんは怖いから口を聞いてはダメ」と言う
  • 「お父さんと遊んではダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらったおもちゃで遊んではダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらった服をきてはダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらったものを使ってはダメ(食器なども含む)」と言う
  • 「お父さんの車に乗ってはダメ」と言う
  • 寝室を別にする(意味不明だが、なぜか子どもたちも連れていく。ちなみに寝室ではなく、「押入れ」のような天井高1300mm程度、窓もない部屋だ)
  • 毎日、私が出かける際に窓から見送って手を振ってくれていたのだが、それもさせないようにする
  • 私が仕事のない休日は100%子どもたちと遊んでいたのだが、特に上の子どもについては「今日は予定があるから」と”わざわざ子どもから私に連絡させる”
  • これ以外にも、夫婦間の連絡に上の子どもを間に入れて会話をさせ、なぜか子どもから「私をはさんでやりとりしないで」と”言わせる”
  • 子どもと出かけている際、”嘘をついて”子どもを連れ戻そうとする(あまりに稚拙な内容なのですぐに嘘だと分かる)
  • 子どもたちの口から言ったと言う事実を作るために、「誘導尋問」をする
  • 私が子どもたちに、絶対に必要な人間の能力として【水泳】をしなさいと伝えていたのだが、理由なく「意味がない」と切り捨てる

ちなみに上記のことは全て「相手方がやったこと」だ。実際に子どもたちの態度からわかったもの、直接子どもたちから聞いたものだ。これが、徐々に、ものによっては同時多発的に突然子どもたちに浴びさせられていたわけだ。要するに、

いわゆる”いじめ”の構図と全く同じで、子どもを精神的に追い込んでいる

と言うことだ。これが、離婚による話し合いより”前”から始まるという、あまりに稚拙で自分勝手な行動だと誰もが思うだろう。「結局それ(結婚相手=この場合は相手方)を選んだのはお前だろう」と言われてしまえば本当にその通りで返す言葉もなく、全て晒してしまうのは心から恥ずかしい限りだが、あえて誇張や嘘偽りなく事実だけを書いていきたいと思うので続けていく。

上記の細かい説明については、全てを解説していくとあまりに長文になってしまうので、別項にて記していきたいと思う。

 

このような夫婦関係になってから、今(その当時のこと)離婚が決まってしまえば「確実に」親権は取られる=子どもたちに会えなくなると思い、まだ子どもたちにとっては早いとは思いつつも、

  • 仕事をすると言うこと(=仕事をしていないということ)
  • 自立をしなさい

ということをしきりに伝えていた。それは、相手方が無職ということに対する当て付けと言うよりは、相手方のようにああして仕事をせずに40を過ぎて親の金をあてにする以外に自分の人生を決められず、それでいて本当に自分勝手に子どものを事は二の次に考えて離婚しようなどという人間にはなるな、自分の人生は自分で決められる生き方をしないさい、ということを暗に伝えたかったからだ。

 

昨日のことのように思い出す子どもの言葉


現場仕事があり、且つ連れて行っても良い場所には積極的に子どもたちも連れて行っていた。大人同士の仕事の交渉やそのやりとり、コミュニケーションなどを間近で見せる事は少なからず刺激になるだろうと思ってのことだ。事実、上の子どもからは、

「将来は舞台関係の仕事に興味があるから、お父さんの仕事に付いていくと勉強になって楽しい」

 

と言われた事は昨日のことのように覚えている。二人の子どもは、現場に連れて行っても私の仕事仲間と積極的に話しをし、ふざけてもいい時は一緒に遊び、また真剣な表情の時は邪魔をしないようにするなど、そうした子どもたちの行動も、本当に微笑ましく見ていた。また、子どもたちも自分の名前で呼ばれるほど皆に受け入れられていた。そのような機会も全て、

相手方による自己中心的な考えだけで2度とそれをすることができなくなった

これだけは強調しておきたい。夫婦間に何があってもそれは大人同士で解決すればいい話で、結果、離婚になってしまっても仕方がない。他人なのだからそういうこともあるだろう。ただ、子どもは無関係だ。私の場合も、子どもたちにその責任のひとかけらもない。それまで無邪気にふざけあって遊んでいた親子関係が、片方の自分勝手な行動”だけ”でもう2度と取り返しがつかないことになる。これは言い逃れができない事実だ。これが虐待ではなく、何が虐待なのだろう。未来のことなのであくまで希望的観測ではあるのだが、将来的にこうしたことにもメスが入り改善されていくと思われる。それはそうだろう、はっきり言ってこれは性差別だ。相手方へのこうした罪については、私は絶対に許さないので、この先もとことん追求していくだろう。いつでも裁判を起こす覚悟だ。ただそうは言っても、一番辛いのは子どもたちだ。なぜなら、

  • 無職の親に育てられること
  • 自分たちの環境が異常なこと
  • 親の親(相手方の親)の考え方も異常なこと
  • 自分たちが相手方に言いなりになり、嘘を言わされてきたこと
  • 自分たちが相手方の恐怖に怯えて暮らしていたこと

これらのことを今すでに感じ、近い将来、事実として詳細を絶対に知ることになるのだから。

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