5.子どもたちへ対する明確な”虐待”開始②

相手方から子どもたちへの虐待


前の投稿で、相手方の子どもたちへの虐待が始まったと書いた。今回はその詳細を書いていきたいと思う。

  • 「お父さんは怖いから口を聞いてはダメ」と言う
  • 「お父さんと遊んではダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらったおもちゃで遊んではダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらった服をきてはダメ」と言う
  • 「お父さんに買ってもらったものを使ってはダメ(食器なども含む)」と言う
  • 「お父さんの車に乗ってはダメ」と言う
  • 寝室を別にする(意味不明だが、なぜか子どもたちも連れていく。ちなみに寝室ではなく、「押入れ」のような天井高1300mm程度、窓もない部屋だ)
  • 毎日、私が出かける際に窓から見送って手を振ってくれていたのだが、それもさせないようにする
  • 私が仕事のない休日は100%子どもたちと遊んでいたのだが、特に上の子どもについては「今日は予定があるから」と”わざわざ子どもから私に連絡させる”
  • これ以外にも、夫婦間の連絡に上の子どもを間に入れて会話をさせ、なぜか子どもから「私をはさんでやりとりしないで」と”言わせる”
  • 子どもと出かけている際、”嘘をついて”子どもを連れ戻そうとする(あまりに稚拙な内容なのですぐに嘘だと分かる)
  • 子どもたちの口から言ったと言う事実を作るために、「誘導尋問」をする
  • 私が子どもたちに、絶対に必要な人間の能力として【水泳】をしなさいと伝えていたのだが、理由なく「意味がない」と切り捨てる

 

先の投稿でも書いたが、それまで私が行ってきたいわゆる家事・子育てというものは、

  • 上の子どもの朝食の用意
  • 上の子どもの駅(電車を使って登下校している)までの見送り
  • 風呂掃除
  • 洗濯
  • ゴミ捨て
  • 間に合えば子どもたちとの風呂
  • 休日の子どもたちとの外出
  • 休日の買い物

と言ったところだったと思う(離婚問題期間の後半はまた変わる)。その時の私の前提条件として、

  • 会社員
  • 月から金は必ず、土日も半分ほどは仕事あり
  • 朝は8時には家を出、帰宅は21時〜22時ごろ

という状況であった。上の子どもとは毎日朝は一緒に過ごしていた訳だ。私も駅まで見送りに行くのが1日の中で1番の楽しみで、学校生活や家のこと、習い事などいろいろな事を話しながら駅まで車もしくは徒歩で向かっていた。もちろん時折ふざけながら、上の子どももふざけたり、時には駅までおぶったり肩車したり、「これ持って!!」などと子どもも私に遠慮することなく接しており、本当に幸せな時間であった。ここで相手方が子どもたちにやってきた虐待であるが、一つ一つ解説するまでもなく、いわゆる”いじめ”の構図と全く同じものだった。

 

親から子へ伝える「いじめのやり方」


「や〜い、あいつの家びんぼうだから仲間外れにしてやろうぜ〜」

と言う”いじめの構図”と何か違いがあるだろうか。私自身は虐められた経験はないのだが、特に昨今、いじめには学校にも敏感になっており、当然親にもその教育は求められているわけだが、そのいじめの「やり方」を率先して”子どもに教えている”のが親だと言うのだから、もうこの世のものとは思えないくらいおぞましい光景だ。

ちなみに、別の項目でも詳しく書くつもりだが、話が進んで調停→審判になったタイミングだったか、子どもが「私に暴力を受けた」と相手方弁護士からの書類に記載してあった。いわく、

「子たちと出かけた際、怒られて頭を叩かれた」

と言う事だったと思う(後日ソースはアップしていく予定)。順を追って書いていくが、この時、私は足首を骨折しており松葉杖をついていた。それでも子どもたちとアウトレットパークに遊びに行った訳だが、子どもたちも楽しかったのだろう、当然松葉杖の私より早いスピードで歩き、走って見えない先まで行ってしまった。私はここで、仕方がないと思い、施設中のできるだけ目立つ場所に腰をおろす。見つけてくれれば良いが見つけられなくとも、自分たちが迷子になったとインフォメーションに行くことは分かっていたからだ。案の定、インフォメーションからの放送で呼び出される。私はすでに、ここはしっかり教えようと考えていた。前々から子どもたちには、「人様に迷惑をかけるな」と言うことはことは事ある毎に伝えていた。インフォメーションには申し訳なさそうな2人がいた訳だが、私はパフォーマンスとして2人の頭を大袈裟に(なるべく痛く無いように叩くことは可能)はたいた。そして「人様に迷惑をかけるな」「私が骨折していて追いつけないのは分かるでしょう。」「お店の人にも迷惑をかけることになるでしょう」と言う話をした。そこから数分は、これもパフォーマンスとして怒っているフリをしていた。はたいたことも含めて、私の中ではこれは「しつけ」の範疇だ。ここで、しつけの内容や度合いについて話すつもりはない。これは人・家庭それぞれだし、叩いて怪我をするようであればそれは虐待だろうしそのようなやり過ぎは例外にせよ、それであっても何が良くて悪いのかは本当に家庭に寄るとしか言いようがない、正解がない。私としては繰り返しになるが「人様に迷惑をかけてはいけない」ということを教えたかったのだ。

私が言いたいのはこのようなことではない。本当におぞましいのは、

  1. そのアウトレットパークの出来事から1年以上経過してもなお
  2. 相手方が自分自身の裁判所の印象操作のため”だけ”に
  3. わざわざ子どもたちに「今までお父さんに叩かれたりしたことない!?」と強く迫ったこと。いわゆる”自白させようとした”

事だ。要するにこれは推測でしかないが、

相:「○○(私)から何か暴力受けたことはなかったの!例えばちょっと叩かれたとか、どんなことでもいいから!!!何かあるでしょ!!」

と言うやり取りが行われていたと思われる。推測とは言ったが、ほぼ間違いない。

信じられるだろうか。夫婦関係がそれなりにうまく行っている時は「しつけ」それが離婚問題になると「暴力」にすり替わるのかどうかは知らないが、これが人間、というか実の子どもにすることかと本当に恐ろしく思う。

 

上記の相手方が子どもたちに対して行ってきた虐待について、詳細を知りたいと言う項目があれば是非問い合わせたら連絡を頂けると幸いだ。気が向いた時に、備忘録として更新していく可能性もあるが、あまりに一つ一つが長くなりすぎるきらいがあるので基本的には要望のある項目だけ詳細を記していきたいと思う。その一つ一つが、全てにおいてほとんどの人が首を傾げたくなるものばかりだと思う。

 

登場人物の誰も子どものことなど考えていない


そう、ここで相手方弁護士から書面で伝えられたことも書いておきたい。当然私は、私の代理人(弁護士)を通じて、上記の「相手方から子どもたちへの虐待が始まった」旨を裁判所に伝えて行った訳だが、その相手方弁護士からは、「私からの書面で、子どもたちへの云々を始めたのは相手方とあったが、事実は逆である」ような書面が届いた訳だ。この相手方の弁護士も、集団生活の中で責任のある仕事をしたことが無いのか、あまりに稚拙な突っ込みどころ満載の自分の文章に対しおかしいとは思わなかったのだろう。まず、

「私から子どもたちへの云々が始まったと断定するならその証拠を示せ」

と言いたい。そして、その後、特に下の子どもについては、元から私のほうに懐いていたこともあるのだが(これは、相手方から離婚調停を打たれた際に、相手方の資料にも明記してある。墓穴を何度も掘っているのである)、仕切りに私に、「相手方から私の悪口を吹き込まれるのが嫌だ」と訴えかけられていた。という事実があるのだが(子どもの言質も残してある)、どのようなロジックで私が最初に言ったことになるのか、是非証明して欲しい。本当は、この相手方の弁護士も名前も全て晒したいくらいだがここは我慢してやめておく。この下の子どもからの訴えがあまりに酷くなってきたためにある行動に移すのだが、それはまた追々書いていく。

是非上記の件、相手方本人からの「論理的な反論」をお待ちしている。一応書いておくが、どこかの投稿でも書いたように、

「やっていないことの証明=悪魔の証明」

は、私にも相手方にも不可能だ。どういう事かと言うと、結局のところ、私も相手方も、「証拠」として子どもの音声などを裁判所に提出するのだが、あくまでもそれは断片的なものでしかないため、文字通り「いかようにも」解釈が可能だからだ。別項でも書いたが、2017年9月からすぐに相手方から子どもたちへの私の悪口の吹き込みなどが始まる訳だが、相手方弁護士とのやり取りにもあったように、「それは逆である」と言われてしまえばそれまでだ。私も相手方もそれを証明する手段がない。では何故こうして文章にしているかと言うと、

  • 事実を知り得ていないと書けないであろう事が多い
  • 言った・言わないも、こうして時系列で書いていけばどちらが本当かが一眼で分かる

事が、読んでいる方にも理解できると思ったからだ。事実は子どもたち「だけ」が知っている。だからこそ、私はこうして事実を文章で残すことにしたのだ。相手方本人に是非聞いてみたいのだが、

「こう言った一連の出来事の詳細を、あなたの言っている事が事実なのであれば同じように書く事が出来ますか?」

 

 

さて、今回の項目で私が声を大にして伝えたいのは、こうした離婚などのケースで、本当は自分のこと”だけ”しか考えていないにも関わらず、あたかも「子どものため」という枕詞をつけるだけの、

子供をダシにした、極めて利己的な思考回路

 

に、おそらく”意図して”なっている、と言うことだ。

それが自己保身なのか、裁判所への印象操作なのか、弁護士からの入れ知恵なのか、はたまたその全てなのかは分からないが、例えでも何でもなく、私は同じ人間の思考回路だとは到底思えないのだ。

次回のコラムはこのあたりの思考回路になる人間模様などを書いていきたいと思う。

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