とにかく、生きていく上での感覚が違いすぎる
結婚当初、相手方から言われて違和感があった事は何度もあるが、その感覚を端的に表す会話があった。私は学生時代、奨学金を借りていたのだが、当時はまだ返済が残っていた。
「奨学金の返済は私に関係のないお金だから、支払うのは嫌だ」
確かこのような事だったと思う。一般的な感覚の方には全く意味が分からないと思うが、
私(筆者)のお金=私(相手方のこと)のお金
という事なのだろう。奨学金の返済は私がしなければいけない事だが、私が稼いだサラリーは言うまでもなく、家族を養うため”でも”ある、「私のお金」だ。共有財産云々の話はここでは省く。言いたい事がありすぎるし、また相手方の「乞食根性」が垣間見えるエピソードも残したいと思っているので別項とする。とにかく、私が融資を受けたお金なので、私が稼いだお金から返済していくのは極当たり前のことなのだが、どうやら感覚的はジャイアンよろしく、
「私のものは私のもの、あなたのものは私のもの」
と言う感覚なのだろう。無意識にそのような感覚をお持ちの方も多いのかもしれない。
- 自分が稼いで家計の足しにする
- 自分のものは自分で稼いで買う
という、自立している人間であれば意識せずにもっているであろう感覚が欠如しているのだ。
死ぬまで続くであろう乞食根性
こちらのコラムでも書いた車の件もそうだ。繰り返すが、結婚当初450万円ほどの年収があった訳だが、普通の生活をしていればなんら困ることはない。それでもお金が足りないと思えば、家計を今一度振り返ってみるだろう。少なくとも、これは私の過ちの1つなのだが、家計を相手方に任せていた。結果的に、家計を担っているなど言う感覚とは程遠く、ただ支払いをするだけの機械のようなものだったわけだが、任せている身からすれば、それで問題が無いと思っていたのだ。今だから思うが分不相応だった思うことを挙げると、
- 地域でも有名な富裕層御用達幼稚園へ子どもを通わせる
- 一般的に”お金持ち”が習うとされる子どもの習い事
- 行動範囲が極端に短いにも関わらずどこに行くにも車を使用
などなど。
1の幼稚園については、うろ覚えだが毎月「35000円〜40000円」ほどだったように思う。これに加えて制服代やいろいろな経費が掛かっていたのだろう。
2の習い事について。これも月謝は14000円ほどだったように思う。なんでも情報発信局から引用させて頂いたが、一般的な金額にこの月謝で計算してみると、35万円以上は年間にかかる計算になる。
3の自家用車について。行動範囲としては、子どもの習い事の送り迎え、普段の買い物、程度の話だ。距離にして片道3kmほどだろう。そのほかと言えば、
こちらに書いた、相手方自身の習い事ということになるだろうか。月に何回言っていたかは知らないし、こちらは片道20kmほど、自分が教えて得た金銭をそのまま、自身の習い事に支払っていたのは書いた通りだが、これを車で行っている訳だから、もう話にするのも馬鹿馬鹿しい。念の為計算すると、先の通り燃費「15km/ℓ、レギュラーガソリンが120円/ℓだと考えると、往復40キロとなるので、ガソリン代だけで、40キロ÷15km/ℓ×120円=約320円」を、”余計に”払っている訳だ。そして当然、車は維持費がかかる。この先はもういいだろう。そもそも、
車などなくても生活できる恵まれた環境にある
ことは誰の目にも明白だ。私は家計を任せている以上、習い事などの金額は聞いていたが当然、「それを払っても大丈夫」だと思うのは当然で特にそれについては咎めないでいた。それよりも、子どもたちが本心で習いたいと思っているのであれば何でもやらせてあげたいと思っていたので、むしろ必要経費だとすら思っていた。ただそれも、
相手方自身が日中時間があるにも関わらず仕事をしないばかりか、自身の無駄な出費によって家計が圧迫されているとなれば話は別だ。ちなみに、これも別項で書く予定だが、私は3万円ほどの生活費でやりくりをしていた。たまにネット通販を利用しることはあっても、5千円にも満たないもので、大きな買い物をする時は当然、相手方に聞いてはいた。そして、当時は会社員だったが、基本的な服は、2千円程度のワイシャツやヤフオクを利用した中古品だったことも記しておきたい。
この状態でもなお、家計を見直すようなことをせずに、足りない部分は自分の親に頼っていたのだろう。離婚問題勃発直後に相手方親から、
「今まで年間○○万円援助していた」
と私を責めるようなことを言ってきたのだ。その時は、はいはい聞いていたが、よくもここまで自分の子どもの自立心を養うことを放棄してきた人間が言えるなぁと思う逸話だ。念の為その後、そんなにネット通販などで使ったかなぁと思い、カードの明細を遡って見てみたことがある。そこには、せいぜい毎月数千円から2万円までのネット通販(これには、私の私物もあろうが、当然家庭で使う洗剤などの日用品も含まれている)と、相手方の習い事関連だと思われる
「○○○(楽器名)△△:3万円」
翌月には、
「○○○(楽器名)△△:5万円」
と言った数字に愕然とした。これについては私が勝手に捏造している可能性もあると思われるかもしれないので、準備出来次第ソースをアップしていく。生活費が足りなくなって当たり前だろう。これが、今まで一度も責任のある仕事をしたことがなく、自立心を育むことなく、またそれを拒否してきた人間の感覚だ。
追加の逸話
離婚問題勃発から、私はそれまでキャリアで契約していた携帯を安いSIMに変えた。その時子どもたちの携帯も同時に変えたので私の親の分と合わせて合計4台、金額にして月に1万円にいくかいかないか程度を今現在も支払っている。その時相手方はと言うと、私名義の口座から引き落とされているから分かるのだが、少なくとも離婚直前まで、
キャリアにて1万円台前半を毎月払っていた
のだ。「払っていた」というのは、今はもちろんどうなっているか分からないからだが、少なくとも離婚問題が勃発してから3年弱はキャリアから変えずにいた、すなわち、
「これから間違いなく金銭的には貧しくなるにも関わらず、毎月の固定費を見直すことを全くしていない」
ということが浮かび上がってくる。相手方自身のことはもちろんどうでもいい。それだけ、子どもたちにかけるお金のことに無頓着と言うことだ。自分で稼ぐお金などたかだか知れていることぐらいいくら馬鹿でも分かるだろう。結局のところ無意識の内に
「足りなくなった分は親に頼ればいいか」
と思って、これまでもこれからも生きていくのだ。繰り返すが、その親も資産家ではない。もちろん現在は働いてもいない。多少、年金は優遇されているくらいのただの老人だ。この老人も”ガン”であることは間違いないが、いずれにしても、これが私から子どもたちを奪った親権を持つ親の現状だ。
「このような人間に親になる資格があるのか」と裁判官を問い詰めたい。これが、日本の司法の現状だ。
おまけ
ちなみに現在、子どもたちは全国に70校ほどある国立の小学校に通っている。ここも受験時、相手方から聞かされて了承したわけだが、それも授業料がいわゆる公立の学校とほとんど変わらない、むしろ制服だからお金がかからないと言われたからだ。蓋を開けてみるとなんてことはない、経営者や大企業勤めの親ばかりの、それこそ有名私立並の状況であった。
上に書いたように、幼稚園もなぜかわざわざそう言ったところに入学させたりと、自分がそうやって育てられてきた訳ではないにも関わらず、自分の身分を顧みず分不相応に振舞うというのはどう言った心情なのだろうか。おそらくは精神病の一種なのだろう。
最後に、相手方の兄弟についても書いておきたい。いわゆる田舎なので土地はあるのか、もともとの土地に家族の家を建てたようだ。別にこれまではよくある話で、私などは「土地がタダで羨ましいなぁ〜」と思うのだが、なぜか暗に、私は相手方親に貶められたことがある。上記の通り、土地はただ、上物は中堅メーカーだったのでまぁ予想される金額だが、当然その建築費も親が援助しており、さらにローンの残りも払ったとのこと。ここまでくると、「いい歳して家まで親に建ててもらって恥ずかしくないんですか」と言いたくなるが、なぜか相手方親は私に、
「○○(その兄弟の名前)はもうローンも終わったんだって。すごいねー、これからは給料を家族のためだけに使えるねー」
と言うようなことだったと思う。いやいやいやいや、、、と突っ込みどころ満載だろう。
さらに、数年前だったか、その兄弟はその親に、T社のコンパクトカーをフルオプション300万円以上で「買ってもらって」いる。
おまけのおまけ
そして相手方は現在、離婚問題勃発前に、当然ながら「親から買ってもらった」某ドイツ車300万円強(中古)に乗っている。
ここで、親の教育が悪いと断罪したところで仕方がない。確かに、そのような感覚で生きている子どもたちを育てたのはその親であるのは間違いがないし一定の責任は当然あると思うが、年齢的に見れば今はただの中年の大人たちだ。どこでも自立しようと思えばできたはずだし、そうしなかったのは明らかに「自己責任」だ。
また離婚までの経緯のところで書くが、このような人間(たち)が、会社を離れて独立している私に対し「馬鹿にしたような」態度でいるのが現状だ。
これも間違いなく、無条件で女親を優遇している日本の司法の欠陥だと私は思う。