8.夫婦関係調整調停(円満)を申し立てるまで




はじめての調停


さて、そんな生活も束の間、私は秘密裏?に弁護士を横につけ、人生において初めての調停に望むことに決める。

弁護士を探し始めたのは離婚問題勃発したのが2017年9月末、弁護士を探し始めたのが同10月の初旬、決めたのは10月の中旬だったと記憶する。弁護士を選んだ経緯はこちら、

【コラム】私の考える弁護士とその選び方

を参照していただきたい。

ただ、私はこの時、弁護士を探すことと調停を申し立てることを並行して行っており、すなわち弁護士に相談をせずに最初をは進めていた訳だが、戦略としては後にこれが間違いだったと気付く。

まず私が家庭裁判所に対して行ったのが、「夫婦関係調整調停(離婚)」、いわゆる「離婚調停」というやつだ。

詳細は憎き裁判所のこちらを参照して頂きたいのだが、文字通りこれは離婚したいのだが話し合いがまとまらない場合に、裁判所の力、要するに第三者を間に入れて解決を測ろうと思うもので、この時はあくまでも離婚を”回避”するためにそれが最前だと思って行動したものだった。

改めてここで断っておきたいのだが、「相手方と別れたくない」という理由で離婚を回避しようと思ったのでは断じてない。理由は過去の投稿でも散々書いてきていることだが、

  • 離婚をすることになればほぼ100%の確率で(私のような状況の場合)親権は母側にいくこと

  • その場合仕事を一度もしたことが無い人間とその異常な親に子どもたちが育てられることを絶対に避けたかったこと

がその理由で、それ以外の理由はない。

すでにその時には、家庭での色々な問題や、やはり”生き方”の相違なのか、この先子供が手を離れても夫婦2人で生きていこうとなど微塵も思っていなかった。その理由は過去の投稿に挙げたことの他にも、私の親に対する嫌がらせのような、まさに”モラハラ”のような行為が常態化していたことなど、すでに夫婦であることの意味を成さない状態であったからだ。

 



私と私の親に対する嫌がらせ


その私の親への嫌がらせをここに書いておこう。

子どもの誕生日やクリスマスなど、双方の祖母(相手方は片親で、私も数年前に父を亡くしている)から子どもたちへプレゼントを送るという流れが決まっていたのだが、毎回、確実に、相手方親から子どもたちへのプレゼントは、

  • 末長く使えるもの

  • なかなか通常買うことの無い良質なもの

がほとんどで、例えば学校や幼稚園などの持ち物に付ける名前の「印鑑」などであり、それを選ぶ際も、「子どもたちとしっかりと話をし、”何を買うか”まで具体的に決めていた」のに対し、私の親から子どもたちへのプレゼントは、

  1. 私の親にも何も言わないまま当日買い物に一緒に連れていき、

  2. 何も目的の無いまま、それこそ移動中の車の中で買ってもらうものを決め、

  3. 不穏な車内の空気のまま買い物へ

行くことがいつもの状態だったように思う。そのような常態で買い物に行く訳だから、道中の空気もさることながら、子どもたちにしてみたら「プレゼントを考えていない」常態の訳だから、行く先々の中から”無理やり”決めさせられることになる。当然、欲しいものとの相違があっただろうし、言いたいこともあっただろうが、そこは相手方のいつも通り「恐怖の支配」によって、自分の考えを言えないような精神状態なので、

別に本当に欲しいと思わないものを、年金で生活する私の親から買わせる

 

ことに、結果なる訳だ。さらにひどいのは、当然そのような特別な理由も無く買うものなので、子どもたちは特に思い入れが持てるはずもなく、

「買ってもらってから一度も使わない」

 

ものもいくつかあった。例えば、磁石のついたおもちゃや、習字道具のセットなど。しかも商業施設のような場所ではなく、木のおもちゃ専門店や、書道専門のお店で買うようなものだ。今は、私の親にもこのことを話しているためにまだ心も痛めないが、その当初は本当に心苦しく思ったものだ。

その他、相手方親から私の親への言葉。

上の子どもが生まれてすぐ、それが必要だったかどうかの議論はさておき、相手方は実家に数ヶ月帰ることなるわけだ(半年近かったように思う)。当然その場所には相手方親がおり、相手方は元々そのように、親に極度に寄りかかっている精神状態なので、ほとんど身の回りの全てを親にやってもらうことが”当然”と思っているわけだ。必然的に子どもと相手方親との時間が増える訳なので、何も分からない子どもからすると、相手方親のことを親と同等以上に信頼しているのは間違いないだろう。その後、確か出産後2、3ヶ月後だったと思うが、私の親が子ども(私の親からすると孫だ)に会いに相手方親宅に行った時に、私の親に抱っこされて当然泣き出し、相手方親に抱っこされて泣き止んだことがあった。ここで、相手方親が私の親に放った一言、

「この子ったら”なぜか”私に懐いてね〜、なんでだろうね〜、あ〜よしよし」

 

当たり前だろう。四六時中一緒にいる人間を、生まれたばかりの子どもは慕うに決まっている。むしろ、この時初めて会う人間は誰であろうとも子どもにとっては「見ず知らずの怖い相手」だ。

これは、創作でも何でもなく事実である。別項でもこの「勘違い」というタイトルで書きたいと思うが、まさにこの私と私の一族を蔑む態度、人間として何か欠陥があると思わないだろうか。



話が逸れてしまったが調停のつづき


さて、まだ弁護士が横にいない状態で私は調停を申し立てる訳だが、上記の通り、それは「夫婦関係調整調停(離婚)」だったために、いわば「離婚をする意思がある時にする」ものだ。私はそこで、離婚を踏みとどまって欲しいと思い、それを洗濯した訳だが、裁判所に調停をお願いした同じタイミングで弁護士を決めたことで、それが戦略的には間違いだったと教えられる。

理由は上記の「離婚を進めるための調停」であるから、私が調停委員に、「離婚の意思がある」と思われるのは当然で、離婚を回避しようとして行うとなるとどうしても齟齬が出てくる。当たり前だ。そして、決めた担当弁護牛ののアドバイスの通り、

「夫婦関係調整調停(離婚)→夫婦関係調整調停(円満)」

 

に切り替えることにする。これも裁判所のこちらを参照していただきたいのだが、これも読んで字の如く、「夫婦関係がうまく行ってない状態なので、第三者を間に入れて円満に解決を図りたい」と言う意図で申し立てるものだ。繰り返すが、私は相手方に「やり直したいから離婚を思い止まって欲しい」などとは露ほどにも思っていなかった。ただただ離婚してそのような親に親権が渡り、育てられることが、子どもたちにとって万に一つもメリットがないと確信を持っていたからだ。

ということで、一時は「離婚調停」を申し立てたのだが、確か翌日や翌々日だったかにそれを取下げ、そのまま「円満調整」に切り替えたのだ。

 

そしてようやく、その第一回目の調停が、2017年の11月末に行われることになる。

さすがに初めての調停ということで心して望んだが、ここでもこの日本国の”闇”が垣間見えることになる。その辺りの詳細を次回は書いていこう。



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