【コラム】思考停止と全体主義


全体主義とは


まずはWikipediaからの引用。

全体主義(ぜんたいしゅぎ、イタリア語: totalitarismo, 英: totalitarianism)

個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである。この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める。 政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁や専制とは異なり、「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。全体主義の対義語は個人主義[要出典]、権威主義の対義語は民主主義である。

とのことで、例えばある首長などからの号令が、あたかもそれが全てとでも言わんとするが如く世間一般にの共通認識として広がり、そうではない考え方を排除するような風潮だろうか。政治的には社会主義などとも同列で語られたりもする。

なぜこのことを書こうかと思ったかと言うと、この離婚にまつわることはもちろん、今のコロナ禍でも散見される”全体主義”と言えるこの状況が、日本人の異常行動・異常思考だと思えてならないからだ。

タイムリーなコロナ禍の状況だと特にイメージし易いだろうか。最初に断っておくが、

「コロナは風邪と同じ」

「インフルエンザよりも感染力云々」

と、コロナウイルスを軽視しているわけでは断じて無い。ただ、新型コロナに関しては、

「正しく怖がれ」

 

と思うからこそ今の空気感に違和感を覚えるだけだ。

 



例えばコロナ禍だと


先日、どこかのお店で1人昼食を摂っているときのこと。多分テレビだったかと思うのだが(後ろの上の方から聞こえていた)、その、アナウンサーだかがしきりに「今日の感染者数は○○人を超えました。○○人です!」と強調していたのでよく覚えている。

ネットニュースでも毎日のように「今日の感染者数は○○人」と書いてあるのを目にするが、端からみていて、これが「煽り」意外な意図があるとは思えない。だってそうだろ、年齢、状況、そこからの経過、そして死者数など前後関係の情報がなぜ感染者数と同列で書かれないのか。実際には書いてあるのかも知れないが、なぜことさら感染者数だけを強調しているのか、その先に続く経済の停滞を望んでいるとしか私には思えない。

自警団よろしく「他県ナンバー狩り」のような輩を排出するのも、ある種の全体主義の弊害だろう。そのニュースを見聞きするだけで、

「マスクしてないヤツは悪だ!」

「なぜ緊急事態宣言下で営業してるんだ!」

「なぜ自由に行動してるんだ!」

と、まさに

「すべての人間が、(だれかの言った)正しい行動をしなければならない。少しでもそこから外れるものは悪だ、排除しよう」

 

このように、話の核心には触れず、耳障りの合言葉や時には恐怖心を煽る言葉を巧みに使い、大衆を思考停止にする事で世論を自分たちの都合のいい様に動かしていく。まさに全体主義そのものだろう。

新型コロナについて言えば、実際のデータから、いつごろピークアウトしたか、そもそもどのような状況下で感染する可能性が高い→それを避けることで”ほぼ”感染を防ぐことができる”であろう”と、自分なりに仮定を立てることができる。この全体主義、もとい”世の中の雰囲気”に飲まれないためにも、日頃から色々な分野の情報に触れ、自分なりの考えを確率していくことは、コロナに関わらず、これからの世を生きていくためにも極めて重要な事だと個人的には思う。

 

BLM(Black Lives Matter)の件もそうだ。これについて詳しいことは知らないし調べていないので余計なことは書けないが、あくまで私のイメージだが、

「特定の人種の権利を無条件で認めよ!」

 

としか思えないのだ。同様にこれも、

「なぜBLM運動に賛成しないんだ!」

「賛成できない人は差別主義者だ!」

と言う考えを押し付けようとする。皆本当に、この背景にある歴史やこれまでの関係性、今回のこの扇動者やその背後など、自分なりに理解した上での行動とはとても思えないのだ。まさに同調圧力、全体主義の構図だろう。

 



結婚・離婚にまつわること


特にこのサイトのメインでもある結婚・離婚にまつわる事など、まさにその際たるものではないだろうか。

 

先日、今後の事を考えて別の弁護士に相談に行った。(弁護士の選び方としてまた1つネタが確保できたので別項で取り上げたい)

私の経緯を掻い摘んで一通り話し、離婚において最も疑問を持ち今なお怒りに震える、「親の収入問題」、この件について意見を聞いた。要するに、子どもにとって害がないことが前提として、収入が多い方が親権判断に有利に働くべきだと考える、あくまでも私の主張についてだ。

私「子どもにとって害がないことが前提条件として、なぜ単純明快な”親の収入”が、親権を判断する重要項目とならないのか?」

弁「養育費で補填すると言う考え方だからねぇ」

もう話をするのも馬鹿馬鹿しくなった。もちろんこの先には「千差万別、同じ夫婦は2つとしてなく、ここから様々は条件によって親権は判断されていく、、、」と続いてきたのだろう。私が言いたいのは、

”母親=収入が低いので、前提としては母親が親権を取り、足りない収入は別れた親(この場合男親)から貰えばいい”

と言う考えが何よりもまず先にあるために思考停止に陥っているのではないか、と言うことだ。

まず上記の会話から、

  • 母親=収入が低い=弱者
  • 親権はそもそも女親に渡るのが大前提
  • 別居親から足りないお金は貰えばいい

という決めつけ・レッテル貼りが透けて見える。皆さんも何となく、

「親権は女側にいくもの」

 

というイメージをお持ちではないだろうか。ではその考えが広まって市民権を得ていくとどうなるのか。

  • 男親に親権がいくことはほとんどない
  • 養育費を払わない親(この場合も男親がほとんどだ)は悪だ
  • 男から女へお金を払うのは当然だ

このような考えを連想しないだろうか。これは極一部だが、この悪しき世論、まさに全体主義によって法曹界は動いているとみてほぼ間違いがない。心理学や生物学ほかの研究により、”母親の母性が、ある一定の年齢までは必要”などの研究結果や文献、確率論を前提にしていると言うこともわかった上で、だ。はっきり言って、”100:0”というものでもない限り、まさに人それぞれ家庭それぞれで、この前提がある事で結果もそれに引きずられているのであれば害悪でしかない。まさに不公平と言うものだろう。

 

結婚・離婚問題については特にこの傾向が多いと見え、別項でも取り上げる予定の「共同親権」「面会交流の実態」なども、完全にその傾向、すなわち「あくまでもイメージのまま」進んでいると言っても過言ではない。

某ベンチャー企業元社長による1人親の支援策などもまさに、

1人(女)親は弱者

として、その前後関係やそれによって不幸になる、時として自殺まで追い込まれる男親のことには「一切」触れない。いままで散々、

  • 男女平等!!
  • 女性の社会的地位を!!!

と叫んでいた方々、こう言ったことになぜダンマリを決め込むのか。この元社長の支援策など、女性を蔑視しているとは思わないのだろうか。女性は社会的弱者だと決めつけた上でのものですよ、と。

だから私はこのような、物事の片側からの視点”しか”見えないような何かに偏ったものについてははっきりと嫌悪感を抱くし、自分自身も知識を身に付けなくてはと思い知らされる。

全体主義に飲み込まれないためにも。



 

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