【備忘録】相手方の態度と面会交流の実態 2020.10.28


2回目の面会交流のやりとり


さて、1回目の面会交流が終わったことは、

【備忘録】初めての面会交流と面会交流の実態について 2020.9.12

こちらに書いた。

まだ2回目は実現していないのだが、その弁護士を挟んだ相手方とのやりとりを書き残しておきたい。

 

そもそも、今は10月も終わり11月が見えてきている時期、この時期には11月の面会交流の日程さえも決まっていてしかるべきタイミングだ。その10月の日程について連絡がきたのが10月23日金曜日。いわく、

弁「10月31日土曜日に面会交流をお願いします。場所は○○(テーマパーク)、時間は2時間とのことですが、、、」

私「なに?2時間でテーマパーク、何ができると考えているのか、逆に相手方に聞いてください。もうね、本当に良い加減にして欲しい。それが子どもの何のためになるのか?”お父さんに2時間しか会えない””時間を区切ってしか会えないもの”と思い込ませている行為だということを理解するべきだと伝えてください(あんた=私の代理人もね)。」

弁「わかりました。。。また交渉してみます。。」

ようやくすると、このようなやりとりが先週末にあった。

 

ちなみに、離婚後に相手方がやったことと言うと、

  1. 子どもたちの苗字を変える(相手方姓)
  2. 引越し、住所を私に知らせない(私の近所らしい)

大きいところでこの2つだろうか。

1についてはさすがに私も驚いた。まさか、小学校5年生と2年生の子どもの性を変えるとは思ってもみなかったからだ。子どもにとって慣れ親しんだ自分の苗字を変えることは、おそらく想像以上にショッキングな出来事だと思う。最近では離婚しても変えない家庭も多いと聞くし、さすがにこれには言葉を失った。大きくなったら子どもたちに是非聞いてみたい。

2についても、実家からも遠い環境に身を置いて、子どもに何か重大なことがあったときに対処できるのか、ということだ。

ここでも、

子どものことなど何も考えていない

と言うことがよく分かる。

もっとも、この「考える」とは、実は想像力や物事を俯瞰する能力だったりするわけだが、その能力と、仕事との関連性がわかってきた。また別項で記したいと思う。



改めて”仕事”との関連性を取り上げる理由


改めて書かせてもらうと、私はこのブログ内で、「無職」「仕事とは」と言うことを幾度となく書いている。何故なら私の経験上、仕事をすることで最終的な人間形成ができてくると確信しているので、逆に言うとそれを経ていない人間が、子育てなどはもちろん、自分1人が生きていくことすら難しいと、これも確信を得ているからだ。

もっと言うと、こと離婚後の子育てにおいて、「仕事」を切り離して考えることこそ、相当に無理がある。

今まで仕事もせず納税もして来なかった人間が、ではなぜ子育てならできると言うことになるのか?

相手方は、結婚までの間、一度も就職・定職につくこともなく、○○という楽器を教えていた訳だが、それは俗にはフリーターと呼ばれるものだ。少なくとも私が生きている世界ではそう呼ばれる。「仕事」とは言ってはいけないと私は強く思う。当然、事業としての申告も何もなく、所得税も払っていないことに加えて、生命保険、国民年金も、

「全て自分の親に払ってもらっていた」

 

そこからは私と結婚する訳だから、当然扶養に入ることで自分で年金などを支払うこともない。今まで一度も、税金と年金を自分で働いたお金で収めたことがない、まさに非国民なのだ。

今になって改めて思うが、我々仕事をしてきた人間からすると、当然学業が終わり就職した当初と今では考え方、話し方、話す言葉の種類は変わってきているし、変わっていなければいけないと思うはずだが、相手方は、これは比喩でも何でもなく、

「精神状態、考え方が中学高校で完全に止まっている」

 

と考えると、すべて合点がいく。

自分が離婚したい!からした、子どもを会わせない!ということ、自分で決めた!と思い込んでるかもしれないが全て親の金を当てにしたもの、などなど。全て辻褄があってくるから本当に何と言うか、我ながら悲しくなる。そうは言っても結婚してしまったのは自分なのだから。

 

話がずいぶん面会交流から脱線してしまったが、次回、この面会が実現したらまた書き残していきたいと思う。



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