【コラム】”母親”の神格化

なぜ親としての”女”が優遇されるのか




さて、皆さんもイメージとしては持っているかもしれないが、特にこうして離婚に陥った夫婦の場合、なぜか、

  • 親権は母親のもの
  • 離婚した場合、余程のことが無い限り親権は母親になる 

という共通認識、雰囲気になっている気がしている。

そのことについては、他の投稿でも何度か取り上げたが、なぜそのような”雰囲気”が蔓延しているのかを考えていきたい。

 

相手方の衝撃のひことと




離婚問題が勃発して、数少ない相手方との会話がある。

 

私「いや、仕事もしてないのに子ども養える訳ないだろ。実家に帰れよ」

相「子どもには母親が必要」

 

なんて空虚な言葉を力強く言ったもんだな、というのが聞いた瞬間の感想だったのだが、そこには、

  • 子どもを養っていくんだと言う矜持
  • 1人で育てていくんだと言う覚悟
  • 保護者になるという責任

これらは微塵も感じない。当たり前だ、相手方は、

「職歴も無い無職の40代」

 

なのだから。

では、なぜそのような「子どもには母親」なる考え方になってしまっているのか。ここには間違いなく、

「子どもは女から生まれてくる=だから偉い」

 

という図式があるからだと私は見ている。

だからといって私は、妊娠、出産、授乳などの子育てを軽んじている訳では決して無い。場合によっては母体の命に関わるものであることは理解しているし、また出産に伴う身体の変調、いわゆる劣化もさけられない事実だろう。だからこそ、夫になる人間はそれを金銭も含めて支えて大事な子どもを育てていく。そこには優劣など存在しない、と言うのが私の考えだ。

その抽象的な思い込みから派生する考え方に、

「子育てには母親が必要」

 

という、まさに相手方の言った言葉通りの印象は、多くの方が共感を覚えると思う。それ自体を否定はしないし、実際にある弁護士が話していたが、”統計上”生物学的には母親の方が父親よりも適している、という言い分にも理解はできる。理解ができると言うのはあくまでも、”統計上”という部分であって、その先の、

=母親の方が親として的確

という部分には真っ向から反対する。なぜなら、親や夫婦は、人の数だけバリエーションがあるし、考え方、子どもの接し方、あるいはそれらの出自だって千差万別だ。特に、こうしたきわめてパーソナルなデリケートな問題、分かり易く言うと子ども達の将来が決まると言っても過言ではない「親権問題」において、統計学を当てはめる意味が「全くない」と考えているからだ。

 

子どもは基本的にはセックスしないと作ることができない



さて、一旦その統計学の話は置いておいて、「母親の神格化」のつづきから。

その優劣が存在しないと私が考えるのは、支え合いと言う部分ももちろん理由の1つではあるのだが、そもそも基本的には、男と女がセックスしないと子どもなど作ることはできない。当然だ。そこから、女は妊娠、男は仕事をし身の回りのことをするなど、ただの役割分担ではないのか。

ではなぜ、

「子育て=大変」「仕事=楽」

 

という考えが無意識のうちに広まってしまっているのか。ここにも、明確な女尊男卑いわゆる男性差別が間違いなく存在している。上記にも書いた通り、別にそこまでお互い敵対視せずに単純に支え合えばいいと思うのだが、おそらくそこには、あえてその対立を煽っている人間たちが存在してる。その一端を担っているのがいわゆるフェミニストの連中だ。

その件については別に書くとして、とにかく、今回の投稿のタイトルにもある母親の「神格化」については、明確な男性差別が存在していることを改めて伝えておきたい。

統計について



さて、先のほど統計の話にもどるが、こと親権問題において統計などが全く当てはまらないと考えるのは、まさに子どもの一生に関わる問題故にもっと真摯に親権に、時間をかけて調査をするべきものであり、その統計とやらが生んだケースに分類分けするような単純な問題ではないからと言うことと、そもそも裁判にまで発展するのであれば、調査官や代理人などがそれぞれ各人から聞き取りを行い、、、ということをするはずなので、そこに統計など無価値であることは容易に理解できるだろう。それこそオーダーメイドの判断がくだされてしかるべきだ。

それこそすべての夫婦間がその傾向に当てはまることなど、ありえない。

さらに、統計や傾向が最も重用しされるのであれば、裁判など、もっと言うと代理人や裁判官などは全く必要ない。ある程度のケースを用意しておき、システマチックに機械にでも分類させた方が余程効率的だ。

そうしないのは理由があるはずで、まず、裁判所の人間、裁判官や調査官、執行官、調停委員などは、仕事をしている”フリ”をすることができる。特に彼らは、多かれ少なかれ自分は選ばれた特権階級だと思っているので、それだけで自尊心は満たされる。弁護士についてもそうだ。世間を知らない人間からすると、弁護士はそれこそ聖人君子のように写るだろうし、何でも言うことを聞いてしまう。弁護士からすれば、それこそいいカモだ。

 

少なくとも私は、離婚問題を一回経験しただけしか裁判のことを知らないが、それでもこれだけの印象を世間や裁判所から受けた。

そして、上記の考え方には、かなり高い確率で当たっていると確信もある。

 

その、母親を優遇するのも、統計で振り分けるのも、無駄に裁判を繰り返すのも、誰も子どもの将来や幸せなどを見ておらず、結局のところ、

楽をしたい

 

ただそれだけのために、何の責任もない子どもたちが犠牲になっていく現実があるのだ。

この事実をどうか広めていただきたい。

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