【コラム】私の考える仕事観⑦



俯瞰力について


少し間が空いてしまったが、

【コラム】私の考える仕事観⑥

前回からの続き、「俯瞰力」について。

  1. 共同体意識の醸成
  2. 人間形成
  3. ボキャブラリー
  4. 俯瞰力
  5. 物理力
  6. 要領
  7. プレゼン力

これは、仕事に就いたことがある方であればなんとなく想像することはできると思う。

Googleによると、
「【俯瞰ふかん《名・ス他》
高い所から見おろすこと。
 「―図」」
説明するまでもなく、「物事全体を見渡して優先順を付け、そのゴールに向かってロジカルに進めていくこと」ということだろう。
この俯瞰と言う行為、仮に階層があるとすれば、距離を置いて可能な限り上から見下ろせるように自分を持っていくことが非常に大事だと思っている。
あるプロジェクトがあるとする。
仮に、クライアント、プロジェクトリーダー、ディレクター、サブリーダー、スタッフのような立場が集まっていることを考えてみよう。
クライアントはもちろん、このプロジェクトの発注者であり、責任者であり全ての決定者だ。その意向に沿って、プロジェクトリーダーは業務を統括していく。そしてある分野にはその下にディレクター(呼び方など何でもいい)を立て、各分野の業務を分担していく。サブリーダーは現場管理のリーダー、スタッフはその末端の人員だと考えよう。
サブリーダーはスタッフの管理、そして自身が任されている範囲の責任を負う。ディレクターはそのサブリーダーの全責任と自分の範囲での責任を負うことになるだろう。当然、階層があがれば上がるだけその責任の範囲も広がることなる。ここまでは誰でもわかる。その上、この場合プロジェクトリーダーは、その下のディレクターの責任は当然のことながら、プロジェクトの全て、そしてクライアントの意向とその先の「将来にわたってクライアントにどう影響が出るのか出ないのか。そもそもクライアントの社会的な責任とは」と言うところまで考える必要がある、と私は思っている。

その先を見通す力が重要だ


言わずもがな、あくまでも私が仕事を通じて感じてきたことに過ぎないのだが、私はこの考えの元業務を通すことで、ある種の確信も得ることができてきた。

上記は例えにすぎないし、あくまでも「仕事上の俯瞰力」という話だが、当たり前のこととして、その考え方は日常生活でも多いに役立つと思っている。
20代の頃は漠然と「○○(車)に乗りたいなー、社長になりたいなー」なんて思っていたのでそこまでの考えには全く至らなかったのだが、例えば、
  • 転職を考えていてこれからの仕事を決める時
  • 車を買い替える時
  • 家を買う(住む場所を決める)時
  • 子育ての時
などだろうか。
次の仕事を決める時、これからの社会情勢、自分のスキル、体力、年齢・・・一歩引いて自分を見つめ直し将来にわたって俯瞰することは非常に重要になってくるだろう。
もちろん、先のことなど誰も分からない。インターネットが発達し、仕事の種類も確実に増えた(私は”誰でも稼げる”という考え方には反対だ。まさにネットの発達によって、稼いでいる人を目にする機会は増えたが、一方で貧困も進んでいる。仕事の種類が増えたと考える方が健全だと思う)。だからこそ余計に、今までの経験を元に仮説を立て予測し、備え、行動することが求められる。
・・と考えると、その経験、ここではもちろん「仕事」のことだが、それが「ない」状態を考えてみるといい。はっきりって、その「ない」状態で”予測”することなど不可能だ。「そんなことはない!」という向きもあるだろうが、それは単なる「想像」でしかない。

仕事はすべてクリエイティブだ




よく、「クリエイティブとは」のような言い方をする人がいる。多くはデザイン関連の方だろうか。そのクリエイティブ、言わずもがな「創造する」ことだが、全ての仕事にあてはまると私は思っている。研究職、事務職、設計、農業・・・全てに段取りがあり、プロセスがあり、ゴールがある。その方法はさまざまだが、皆先人が切り開いてきた道を模倣し、そこから自分なりに考えて自分がやりやすい、また効率の良いやり方に改善していく・・この作業をクリエイティブと形容しない方がおかしい。誰しも皆、意識するしないはさておき、創造しながら仕事を行っているのだ。

その経験を経ていない、私が強調している「仕事に就く」ことの経験がない人間がどのような思考回路になるかなど、考えればわかる話ではないだろうか?逆に考えれば良い。

自分の経験を元に、

  • 自分の将来を設計することができない
  • 家事の効率化を考えることができない
  • 子どもの将来について仮説を立てることができない

・・・これ以上はもういいだろう。私が(相手方を)見てきた上での「事実」なので、全ての人に当てはまるかどうかは知らないが、これも否定しようがない「事実」なのだ。ではその経験がない人間が取る行動は?

  • 自分の将来について→Googleで調べる
  • 家事の効率化→Googleで調べる
  • 子ども将来について→Googleで調べる

冗談だと思うかもしれないが、本当にこれでしかないのだ。ネットで調べることが間違いだとは言わない。一つのヒントになるかもしれないし、場合によってはその正解が書いてあるかもしれない。しかしながら、それは「親の言葉」として見た時にどうだろう?

「私はこういう経験をしてきたからこうだと思う」

 

という自分の意見、先程の「元となる経験」がない、まさしく空虚なものとなる。極端なことを言えば、

”こんな親など必要ない”

 

と私は思う。

 

自分のルーツがどこにあるのか?と考えた人はいるだろうか。これも最近、ある人と話していた時のこと。

知人A:「私も子供の頃から、仕事をしない母親を見てきた。その代わりなのか、父親の働く姿は記憶に残っているし、それを見てきたからこそ今の自分がある」

その人の父は食品関係の仕事に就いていたようで、その姿を見ていたからか食に対する思いは人一倍強い。その影響は父親からだろうとその人は言っていた。

何が言いたいかと言うと、働く姿を子どもに見せるのは、非常に大事だと言うこと。子どもが無意識の内に”仕事”というものを体感し自分で考えるようになる。それを否定する人はいないだろう。ではその逆は?仕事をしていない背中を見せていたら?その知人のように、ある種の壁が親に対してでき、もしかしたら蔑む対象でもあるかも知れない。はっきり言って、何一ついいことなど、ない。

もちろんそのような仕事をせずに子育て”ごっこ”をしている人間は、その俯瞰力・想像力がないからこそ今その状態になり、自分が子どもにどう影響があるかなど考えつきもしないのだから改善する余地すらもない。

こうして文章にしてみると、本当に背筋が凍るのを実感する。このような輩が「母親」を演じて生きているのだ。

 

ちなみにその知人は、当然のことながら定職につきしっかりとした収入がある。若い頃はそれこそ毎日午前様のような働き方も経験している。

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