まずは新しい弁護士と話をしてみて
さて、新しい相談先を模索中につき、新しい弁護士に会ってきた。その時のことは別項でも書いたが、もちろん相談料を払う以上、それなりに期待してのものだった。と、ここまで書いてお分かりかと思うが、一言で言って、
”弁護士など誰でも一緒”
との考えを強くしただけのものだった。時間にして1時間半ほどその方と話したのだが、まずその人の前提として、
- 60代くらい
- 男性
- 事務所規模は比較的小規模
- 司法書士と合同
- 個人相手が多い
このような弁護士事務所と弁護士だった。
こちらはざっと今までの経緯と、今の弁護士と言うよりも法曹界の考え方の不満のようなことをお話したのだが、思っていた以上に期待したものが得られなかった。具体的にはこのような会話だ。
私「夫婦の関係など千差万別、なぜ”原則”に従うだけなのか。それぞれの背景になるものをもっと細かに分析するべきだ。それ”だけ”で決めろとは言わないが、お互いの年収、これこそ数値の優劣が判断でき、何よりも子どもを養う上で何よりも大事なことでしょう」
弁「いや〜、それは”養育費で補填する”という考え方だからねぇ。。」
もうここで話をすることをやめた。
本気でクライアントの立場に立つ弁護士などいない
確かに、そう言うケースはあるだろう。例えば、
- 夫:会社員、年収500万
- 妻:会社員、年収400万
と言うケースだ。この条件であれば、母側に親権が移るとして夫から妻側へ養育費が5〜6万、と言うことで妥当性のあるものだろう。ただ、私のケースに限らず、全てがこの範疇に収まる”はず”がない。私のケースの場合、
相手方の”年収”50万、私からの養育費6万円/月
養育費の年額が6万×12ヶ月で72万、年収の50万と足して120万だ。まさに焼け石に水。その金額で子どもが不自由なく生活できると思う方がどうかしている。ここでもよく分かると思うのだが、判例や慣習を”参考”にするならまだ分かる。ただそれがあたかも”大前提”であるかのように思考停止に陥っているのでは話が違う。そこに、「子どもの幸せ」など存在していない。本当に子ども不在、名ばかりの「子どものため」が氾濫していると痛感する。
あなたは年収100万少々の親に育てられたいと思うだろうか?
この場合、金額だけを取り上げて言っているわけではない。1人で育てていくことが決まっているのにもかかわらずその年収でなんとかなると思っている怠慢や、「お金を稼いだことがない」=「生きる力がない」という、この等式に否定的な向きもあるかもしれないが、何か不足の事態に陥った時、頼りになるのはまずは自分自身だ。その時、何をすればいいのか、何を真っ先にしなければならいのか、それを誰よりも理解しているのは、間違いなく真面目に仕事をしてきた人間だ。そもそも、子どもの人生を預かる人間が、自分一人生きていくこともできない人間で”よいはずがない”。これに反論できる人はいないだろう。
と言う話をすると、
「子どもは母親の元で育つのが一番だから、、、」
「親が援助してくれるのならいいんじゃないの、、、」
と言ってくる輩が私の周りにも現れたが、まず「子どもは母親の元で」というくだり、これも得意の「判例」「慣習」はたまた生物学的根拠、言ってしまえば確率論を、この新しい弁護士も出してきたが、あくまでもそれは「その傾向がある」と言う話で絶対的なものであるはずがないばかりか、まさに夫婦など「千差万別」。確率論がどの程度意味があるのか、私には全く理解ができなかった。何故ならそこには、家庭環境や子どもの気持ちをしっかりと調査をし、検証を繰り替えるという「どちらが親に相応しいか決める際に絶対に必要な作業」の時間を省き、結論”らしきもの”を、あたかも当たり前かのように出しやすくするため、言ってみれば、弁護士・裁判官の職務怠慢に他ならないと思うからだ。もしその確率論を出すのであれば、
例)
弁「こういうケースの場合は、生物学的に、○○のケースが多く、あなたの場合もその可能性があります。ただ、あくまでも”傾向”の話なので、個別に精査する必要があります」
そう、「ただ、」なのだ。話のとっかかりに過ぎず、それを結論と決めつけるのは不可能な話なのだ。冷静になりさえすれば分かることだろう。
そして「親が援助」というくだり、これも理解ができないのだが、なぜ高齢の親がここで出てくるのか。身近に助けてくれる人がいるのが心強いというのはよく分かる。では、親の資産のことでもあてにしているのだろうか?その身近な援助と言うことであれば、これも仕事をしてしっかりと収入さえ確保していれば、ヘルパーにお願いするなど、手段などいくらでもある。世の中の全てがお金が解決できるとは思わないが、よく言う「世の中の9割はお金で解決できる」と言う意見に私は概ね同意している。その残りの1割が、今回のような「無職に親権を取られるケース」や「恋愛」などの場合だろう。
話が脱線しそうだが、このように、あたかも「当たり前」「私はしっかりとした根拠に基づいている」と言わんとする言い方をしてくる弁護士はやはり多いと思うが、冷静に考えて欲しい。上記のように、
「それってただの確率論もしくは傾向だから、ここでは全く意味がないよね?」
ということも多いはずだ。そう思わず弁護士の言ったことだからと思考停止になるのは何故か。これが再三申し上げているように、まさに弁護士フィルターがかかっていて、弁護士を無意識の内に神格化してしまっているのだと私は思う。これは本当に注意して欲しい。
ということで弁護士を選ぶ際は
また別項でも書きたいと思うが、弁護士はまさにこの過去の判例や慣習に全て縛られていると言っても過言ではない。もちろんこれは弁護士が一方的に悪いと言っているわけではない。裁判所全体がその考えで進んでいる以上、その判例から外れた方法などは、まず弁護士として取ることはない。何故なら、その判例が覆ることなどないし、何より自分の弁護士の”勝利”がかかっているので下手なことはまず、しない。自己保身のため、クライアント(他人)のために全身全霊をかけて取り組む弁護士など、いるわけがない。
だから本当に離婚に関わらず、自分の案件に弁護士が必要か?ということは慎重に検証する必要があると思う。
私の知人でも、離婚の際に弁護士にお願いをせず、全てを1人でやり切った方がいる。女性だ。当たり前のように社会人として経験があり、論理的思考と情報処理能力が人並みにありさえすれば代理人など必要ないと私も今は思う。
さて、このコラムのタイトルでもある「弁護士の選び方」というところだが、過去こちらのコラムで書いたように、
私は、当時の判断基準にて今の弁護士事務所(弁護士、ではない)に決めた。今回、この新しい弁護士と話をしてみて改めて、
- 事務所によって向き不向きはある(当然だ)
- 大きな事務所が良い場合もそうでない場合もある
と感じた。結論としてはやはり、
「できるだけ多くの人に会って自分に合う人に決めるのが一番。ただし、弁護士が絶対に必要かどうかはよく見極める必要がある」
ということだ。
事務所によって向き不向きがあろうと、表向きには間違いなく、
「ウチはどんな案件でも実績があります!」
と言うだろうし、事務所の大小も、その時の案件や担当者によっても大きく違ってくるだろう。さらにこの「離婚問題」に関して言えば、上述した通り、無意識なのか意識しているのかその”原則””慣習”とやらに考えを支配されているため、結論などほとんどの場合変わらず、こんなことを言ってしまっては元も子もないが、
「誰に頼んでも一緒」
だと今は思っている。仮にそうだとすると、「淡々と事務処理をこなしてくれるだけの人」も良いかも知れないし、いろいろな見方が広がるかも知れない。まずは「弁護士フィルター」を外して、弁護士などただの同じ人間だと思って冷静に対峙すること、これが何よりも重要だと思う。