7.虐待が始まった後の子どもたちとの生活②

 

子どもにとって地獄のような時間だった


さて、それからと言うもの、おおよそ2017年10月ごろから2018年11月ごろまではそのような生活が続いた。まさに子どもたちにしてみたら、地獄のような時間だっただろう。端的に言うと、

  • なぜか分からないのに相手方から「お父さんと云々」を言われる(これだけでも相当のストレスだろう)
  • そのため、相手方がいる場面では相手方に気を使わざる得なくなる
  • 自分の思ったことを言えなくなる

相手方としては、何とか子どもたちを言いくるめるべく、

恐怖で子どもたちを支配しようとしていた

 

元々そのような兆候はあった。離婚問題勃発以前からも首をかしげたくなるような言い方などを子どもたちにしていたのを覚えている。まさにいじめの構図のごとく、何の説明もなく(根拠などないから出来ないのだ)、

  • 「○○をやりなさい!!!」
  • 「△△はやっちゃだめ!!!」
  • 「ホントに何も出来ないんだから!!!」

と言うような類のことだ。これも言質を取っているが、下の子どもからこういったことは何度も聞いた。その根本にあるものが何なのか、分かりたくも無いが推測すると、単純に、恐ろしく世間に対して劣等感を持っているのだろう。相手方は齢40を超えても尚、定職に就いたことがないことは先に書いたが、そのことに対しては何らかの後ろめたさのようなものは持ち合わせていたのかも知れない。また別の機会に書きたいと思うが、自らそのような環境を選んだにも関わらず、自分が惨めな立場にいる苛立ちを、子どもたちにぶつけていたようにも思う。

いずれにしても、相手方と比べると圧倒的に子どもたちとの時間が取れない→このまま連れ去りなどによって半ば強制的に離婚になってしまえば、子どもたちに何も伝えることが出来ないと思い、無理矢理にでも特に上の子どもとは何とか話す時間を持とうとした。例えば、

  • 先の投稿でも書いた通り、夜はほぼ顔を合わすことが出来なかったので、寝る直前の上の子どもを捕まえて、あえて別室にいき、将来的な話をする
  • 仕事の無い土日は、何が何でも子どもたちとの時間を作る

と言ったことだ。

土日の現場仕事などには積極的に連れていくようにし(クライアントには私の状況も説明していた)、また、遠方への旅行やテーマパークなどにもたくさん連れて行ったりした。それは、子どもたちと過ごす時間が残りわずかだとどこかで感じていたのかも知れないと、今では思う。別に弱気になっていた訳でも何でもなく、別項でも論じるが、「裁判所の理不尽な考え方により、まず親権が取れないであろう」ことは分かっていたからだ。

産経新聞の【子と親の離別~揺らぐ親権制度】この記事にもある通り、子どもの連れ去りは深刻化しており、やはり多くは女親が子どもを連れて行方をくらます、と言うことがほとんどのようだ。いわゆる「連れ去ったもの勝ち」のような状況がおかしいと、少しずつ改善はされているようだが、依然として「現状維持=継続性の原則」が根強いように思う。結果として私もそれに翻弄されるのだが、また新しい情報などは更新していきたいと思う。

 

寝室が別になる


さて、相手方の極めて自己中心的な行動により、子どもにとって不健全な生活が続くことになるのだが、ここでまた意味不明な行動を取るようになる。私の建てた家と言うのが、寝室は一つ、あとは将来的な子どもたちの部屋用の大きな空間は一つと、極力居室は減らしてあった。夫婦関係がこのようになってからも当然、一つの部屋で4人寝ていた訳だが、当然、そんな状態にも関わらず同じ寝室と言うのも居心地が悪かったのだろう、何とある時、居室ではない納戸のような部屋に移動していったのである、なぜか子どもたちを連れて

この”納戸のような部屋”と言うのが、いわゆる天井高を1400mm以下にして延床面積に入れないようにしたフロアで、大きめな納戸とテレビを置いた3畳ほどの部屋がある。そのテレビが置いてある部屋に、わざわざ”自分の母親に布団一式を買ってもらい”布団を持ち込んでそこを寝室としようとしていた訳だ。天井高は1400mmもなく、入り口と空調は一応あるのだが、窓は無く換気設備も無い、本当に倉庫のような部屋だ。無論、太陽も感じられないような窮屈な部屋で育ち盛りの子どもたちを寝かせて良い訳もなく、すぐにやめさせようとするが、頑なにそれを拒む。2人の子どもにも、「窓のない窮屈な部屋で太陽を感じらずに睡眠を取ることは、絶対に身体に良くない。相手方を恐れて断れないのかも知れないが本当にやめなさい」と言うことは、上の子どもには朝の時間に、下の子どもには事あるごとに言うようになる。

さて、

「なぜ、1人で勝手に寝ないの?」

 

と思わないだろうか。夫婦間がどうであろうが、自分がその部屋に居たくないのだとしたらなぜ、

  1. 誰が聞いても「子どもの成長に良い訳がない場所」に
  2. 自分1人だけで行かずに
  3. 関係のない子どもたちを連れていく

のだろう。繰り返しになるが、極めて自分勝手な行動を言わざるを得ない。子どもたちにどんな説明をしていたのかは知らないが、何一つ根拠のない、

「お父さんと一緒に寝てはダメ」

と言うことを言っていたことはまず間違いがない。是非、大きくなった子どもたちに聞いてみたいものだ。

ちなみに、そのような状況でもなお、上のこどもとの朝の時間は続いていた。具体的には、

  • 朝、下の部屋から起きてくる
  • 2人でに朝食を取る
  • 学校の持ち物などを一緒に準備する
  • 駅まで連れていく

と言う朝のルーティーンだ。嫌らしいとは思いつつ、これも画像で保存してあるのだが、朝、その下の倉庫のような部屋から上の子どもが起きてくると、まず、眠そうな顔を擦りながらリビングの私のところに来て膝の上に乗る。そのまま寝そうになるので、抱えてトイレに連れて行き、トイレを手伝った後顔を洗ってあげる。。。という事も、今となっては良い思い出だ。これも後々詳細を書いていくが、画像も含めたそのような事実も、裁判所は全て無視をした訳だ。

さすがに、この倉庫を寝室とする行為に対しては、何とかしたいと思ったものの、児童相談所に行った程度のこと以外、行動にすることはなかった。(児相に記録は残っていると思うが、その状況では児相としても介入はできない、と言う回答であった。元々期待はしていなかったが、何か改善する糸口になれば、と言う思いで行った訳だ)

そのような生活が続く中で、2017年11月ごろ、私から相手方に対して、

夫婦関係調整調停(円満)

の調停を打つことになる。これは、このタイミングで直ちに離婚してしまえば親権が相手方にいくことがほとんど確定している中で、

無職の親に育てられるような不憫な思いを子どもたちにさせたくなかった

 

以外の理由はない。この時は、私の横に弁護士はいたのだが、正式に案件に着手してもらっていたわけでは無くアドバイスをしてもらっていた。この辺りのことを次回は書いて行きたいと思う。

 

 

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