円満調停とは
さて、2017年11月2日、先に申し立てた「夫婦関係調整調停(離婚)」を取下げて「夫婦関係調整調停(円満)」を申し立ててきた。
調停を切り替えた理由はこちら。
私にはすぐに会社の顧問として契約していた弁護士がいたと言うことは書いたが、相手方が弁護士を「自分の親の金で」雇うのはもう少し先のは話だったので、裁判所からの通知にはさぞかし肝を冷やしたことだろう。
何度も繰り返している通り、この調停を経て平穏な夫婦生活に戻るとは露ほども思ってはおらず、
こうする事でしか子どもとの生活を送ることができない
と、いわば子どもと1日でも長く生活ができる様に考えた上でのことだった。どう言うことかと言うと、相手方の離婚の意思などはこの時にはすでにどうでもよく、今の状態で離婚をこちらが受諾したところで、まず間違いなく親権が相手方に渡るであろうと言う、「裁判所の偏った考え故」にそうする他に手段がなかったということだ。逆に言うと、
「裁判所が公平な判断をすることが分かっていれば、すぐにでも離婚をこちらからでもお願いした」
と言うことだ。それほどまでに、この日本国において、離婚の際、男親が親権を取れる確率は極めて低い。
つい先日も、別の弁護士に相談に行ったことは
もちらに書いたが、そこでの言動や、また別項でも書くが私の今置かれている「面会交流」の現状などからも、改めて男親が親権を取ることの難しさが感じられる。
よく弁護士事務所の宣伝や実績などで、「親権は8割、9割が女親が取るが、大丈夫です、一緒に戦っていきましょう」と言う様な文言を見ることがあるが、確かに全体としての割合はその程度だとしても、その場合の男親に親権が渡るケースと言うのが、
- 女親のネグレクト
- 女親の子供への虐待
に「限られる」と言っても過言ではない。この件について、まだ私の調査が足りないので確かなことは言えないので、是非専門家の方々からご教示をお願いしたいところだ。
なので私は、このようなケースで相談をされた場合、
「まず親権を取るのは不可能なので、弁護士などの戯言には耳を貸さず、無駄なことをせずに今すぐ離婚するか、復縁の余地があるのならそちらを頑張りなさい」と言うようにしている。それ以外に方法はないが現状だ。
さて、初めての裁判所
と言うことで、2017年の11月30日、初めての「調停」と言うものが始まる。やはりどうしても裁判所というとメディアのような、
このような荘厳なイメージを少なからず持っていたので、それなりに緊張を持って望む。調停とはあくまでも「第三者を交えた解決の場」なので、裁判や審判などと違い、当然裁判官もいなければ言ってしまえば、「お気軽なもの」と言っては誤解を招くかも知れないが大したものではない。要するに、
- 個室にて実施
- 調停委員が2名(原則として男女1人ずつ)
- 相手方とは交代で入室
にて、事前に裁判所に提出した「事情説明書」に沿って話を進めていくだけのものだ。念の為、調停委員とは、
- 弁護士資格を有する者
- 民事・家事の紛争解決に役立つ専門知識を有する者
- 社会生活において豊富な知識を有する者
上記のいずれかに当てはまる者、と言うことらしい。どうやらそれなりに社会的地位の高い人が選ばれていると言うことだろう。もちろんここでも、全ての事柄の同様に、
だからと言って人間的に優れているかと言うとそんなはずもなく、さらに自身が離婚を経験している訳でもない単なる他人
だと言うこと。別にこれは調停委員を蔑んでいる訳でも何でもなく、ただ単に事実を言ったまでで、そう言った肩書きなどに惑わされずにありのままで調停に望めばいいと思う。これも弁護士事務所のHPなどで散見される、
調停委員とは「仲良く」「嫌われないように」「味方につけよう」
と言ったことについては、「まぁそうだろう」としか言いようがない。だからと言って媚び諂う必要はないし、あくまでも社会人として失礼のない態度で望めばいいと思う。当然お互い人間なので、合う合わない・好き嫌いなどの感情もあるかと思うので、個人的には常識的な範囲であれば感情を出しても差して問題はないだろうと思う。
ちなみに私は、今回の「円満調停」の次に相手方から申し立てられた、「離婚調停」の際、調停委員に相当噛み付いた。その時のことはまた後々書いていきたいと思う。
調停委員との会話など
そんなこんなで「事情説明書」ようするに、今までの経緯や今の感情などを、私と相手方それぞれで書いて裁判所に提出するのだが、それに沿って話は進められていく。順番としては例えば、
- 私が入室、調停委員と会話
- 私が退室、相手方が調停委員と会話
- 私が入室、、、
と言うのを内容によって繰り返す訳だ。「相手方はこんなこと言ってますが、、、」という感じだ。そうやって、お互いの言い分を第三者に聞いてもらい、それを双方に伝えながら解決に持っていく、と言うのが調停の中身だ。調停委員とは言わば伝書鳩のようなものだと思って差し支えあるまい。
当然ながら1回目の調停で全てが解決する訳もなく、それが次回に持ち越されていく。調停に頻度はおおよそ月に1回だ。私に鍵って言えば、3回目で調停としては「不調」として終了した。要するに、相手方が「円満」を「望まない=離婚の意思は硬い」ということがはっきりした訳だ。
そもそも離婚というのは、双方の合意がないと成り立つものではない。相手方が「離婚をしたい」と言ったところで私からそれを了承しなければ、その状況が続く限りは離婚をすることは不可能だ。何度も申し訳ないが、相手方と離婚を拒否したかった訳では全くない。仲良く暮らしたいなどとは1ミリたりとは思ってはおらず、
離婚する=親権が相手方に移る=子どもを恐怖で支配するような人間に子育てをさせる
ということを絶対に避けたかった、ただそれだけだ。なので、私から起こしたこの調停は、言ってしまえば「時間稼ぎ」「パフォーマンス」の意味合いが強かったので、不調になろうがどうなろうがはっきり言ってどちらでも良かったのだが、私の場合は、調停を経ても同じ屋根の下で相手方と暮らすという、非常に気味の悪い生活を結果的にそこから1年半ほど続けることになり、そのことについてはやはり思うところもあったので、これも後々書いていきたいと思う。
調停の最後に、男性の調停委員(調)と話していた会話が印象的だったので記す。
私「実際こういう(無職の親が離婚をするような)ケースって、ぶっちゃけどう思いますか?」
調「ん〜、やっぱり(相手方は)離婚を甘く見てるねぇ。。。」
私のこの状況を聞き、「親権が相手方にいくのは仕方ないねぇ」などと言った人間は「ただの1人も」いない。調停委員だってもちろん1人の人間だ。相手方のような無職の人間が片親になって、子どもにとって良いことなど1つもない。そのことを理解しているからこそのこの最後の言葉だろう。
ただ、なぜかこの一般的な感覚を持たず、子どもの幸せなど微塵も考えていない人間の集まりが、この国の裁判所という組織の現実だ。
次回は1回目の調停後の生活などを書いていきたいと思う。