【コラム】姑いびり

相手方から私の母親に対する仕打ち




相手方および相手方親から、私と私の母親に対する嫌がらせの一部は、

8.夫婦関係調整調停(円満)を申し立てるまで

こちらの投稿にも書いた。特にその中でも恐ろしいなと感じたのは、

 

『毎回、確実に、相手方親から子どもたちへのプレゼントは、

  • 末長く使えるもの
  • なかなか通常買うことの無い良質なもの

これに対し、私の親から子どもたちへのプレゼントは、

  1. 私の親にも何も言わないまま当日買い物に一緒に連れていき、
  2. 何も目的の無いまま、それこそ移動中の車の中で買ってもらうものを決め、
  3. 不穏な車内の空気のまま買い物へ

いくだけでなく、「買ってもらってから一度も使わない」こともあった』

という部分だろうか。要するに、私の実の親のことを、

「明らかに見下している」

 

と私は感じていた。

 

このような状況になってから改めて私の母と話していて驚いたのだが、母曰く、

「今だから言うけど、私はあの人(相手方)に、例えば老後の面倒を見てもらう姿が全く想像できなかった。理由は分からないけど。」

 

おおよそこのようなことを聞かされた。実際にそうなったときに面倒を見てもらうかどうかはさておいたとしても、母親としては、「我が子の嫁」という認識がなかったと言うことなのだろう。これを聞いて、私は本当に親不孝なことをしたのだと思ったものだ。



私は会社員時代、土日に仕事が入ることがままあり、そんな時は”必ず”相手方は自分の実家に子どもを連れて帰っていた。さすがに文字通り毎回必ず実家に帰ること、と言うよりも、「特に理由もなく(本当に何もない。実家に帰って料理をしないなど楽をしたかっただけだ)実家に帰るのであれば、1回くらいは私の実家に寄ってもいいのではないか」と思い、実際に伝えたこともあった。結果は、ご想像の通り、

「ただの一度も、相手方と子供だけで私の実家に寄ることはなかった」

 

こういった話をすると、必ずどこかから、

「そんなもんよ〜今の人はみんな夫(妻)の実家には行きたがらないものだよ」

と言う人が出てくるが、そんなわけは、ない。

実際に私の身近にも、東京から九州まで、1人で子どもを連れて相手の実家にいくような人がいる。ではこの人が特殊で、そうではない相手方のような人間がほとんど全てを占めているのだろうか。ここでもまさに「全体主義」よろしく、身近な意見があたかも全ての人間の考えのように錯覚する(させる)ようなやりとりが行われているわけだ。本当に由々しき事態だと思う。

この、「夫(妻)の親に会いに行かない」と言う行為は、ここでもまさに自己中心的な、子どものことなど全く考えていないと言うことの裏返しだ。特に私のケースは、住んでいたところから私の実家までは車で10分〜30分(途中何度か引越しをした)、何度も書いたがそこから相手方親の家までは1時間強かかる。例えば子どもに何かがあったとき、真っ先に駆け付けらるのは誰か。先に子どもを助けることが出来るのは誰か。そこまで考えが至らなかったとしても、何より相手の親に会わせるのは自分のためなどではなく、まさに「子どものため」だろう。人の親になっておきながら、何かにつけて子どもよりも自分を優先させるこの思考回路はどこからくるものなのか。これから研究していきたいと思う。

その他のことで言うと、まさに「陰湿」と言う言葉がぴったりだと思うのだが、例えば私と相手方、子どもたちと私の実家でご飯を食べるような時のこと。

  • 子ども「○○好きじゃないから食べたくな〜い」
  • 私親「○○は体にいいから食べなきゃダメだよ〜」
  • 相手方「(子どもに向かって、私親に微妙に聞こえるような声で)○○は食べなくてもいいんだもんね〜」

なかなかその時の具体的な会話が思い出せずこの微妙なニュアンスが伝わるか自信がないのだが、とにかくそのやりとり全てが”いやらしい”のだ。上記の会話の場合、話している相手は私親と子供なのだから、子どもに向かって言うのではなく、

例①「この子は○○があまり好きじゃないんだけど、少しずつ食べれるようになったんですよ〜」

だとか、

例②「○○はどうしても食べないんですよ〜この子〜」

くらいのライトな返答で十分で、これであれば誰も不快にならないだろう。ちなみに、この会話に限らず、このような”いやらしい”表現ややりとりをすることが頻繁にあった(とは言っても、上記の通り相手方と私親が会う機会がそのそも少なかったので多いと言うほどではないが)。恐らくこれ、相手方は私親に対して、”わざと”やっていたと思っている。理由は分からないが、どうしても私の親のことが気に入らなかったのか、はたまた私の”家”を最初から見下していたのか、その程度のものなのだろう。そしてその裏には、相手方親の影響も多分にあったのだと思う。



相手方親のこと


さてお次は相手方親のことについて。結論から言うと、どこかで書いたかもしれないが、本当に世間知らずの子離ればできてない人間だった。そして、この人間も、相手方に負けず劣らず陰湿な性格をしていた。

私の親への最初の一撃は、先の投稿に書いた、

『上の子どもが生まれてすぐ、それが必要だったかどうかの議論はさておき、相手方は実家に数ヶ月帰ることなるわけだ(半年近かったように思う)。当然その場所には相手方親がおり、相手方は元々そのように、親に極度に寄りかかっている精神状態なので、ほとんど身の回りの全てを親にやってもらうことが”当然”と思っているわけだ。必然的に子どもと相手方親との時間が増える訳なので、何も分からない子どもからすると、相手方親のことを親と同等以上に信頼しているのは間違いないだろう。その後、確か出産後2、3ヶ月後だったと思うが、私の親が子ども(私の親からすると孫だ)に会いに相手方親宅に行った時に、私の親に抱っこされて当然泣き出し、相手方親に抱っこされて泣き止んだことがあった。ここで、相手方親が私の親に放った一言、「この子ったら”なぜか”私に懐いてね〜、なんでだろうね〜、あ〜よしよし」当たり前だろう。四六時中一緒にいる人間を、生まれたばかりの子どもは慕うに決まっている。むしろ、この時初めて会う人間は誰であろうとも子どもにとっては「見ず知らずの怖い相手」だ。』

この通りだ。

この親に対しても私の親は、

「初めて顔を合わせた時はなんとも思わなかったけど、(上の会話)このような事とか、会話の端々で異様なところが感じられた」

と言うことを言っている。

 

事実この人間は、自分のところの嫁(相手方兄の嫁、△△とする)に対して、まさに「嫁いびり」をしていた。明らかに、息子の子どもと、その嫁への態度が違っていたし、

「△△ちゃんはさ、夕ご飯の支度に4時間も費やしてるんだよ。何してるんだろうねぇ」

というようなことを言っていたりもした。私はこれを聞き単純に、

「へ〜子どものためにしっかりと夕飯を準備して大変だなぁ」

と言うのが素直な感想だったが、どうやらこの人間にはそうは映らなかったらしく、

「そんな時間があるなら、他ごとをするなりしろ。このノロマめ」

 

というニュアンスが感じられる言い方であった。

このお嫁さんと言うのも、家は相手方実家の敷地内に建てられた家に住んでおり、いわば「逃げられない状態」にあったばかりか、そのお嫁さんの実家もそこから車で2時間はかかるようなところにあり、さらにその実家にも障害を持った自分の兄弟がいるなど、すぐに実家を頼れるような状況ではなく、見ていて本当に可哀想であった。法事の時などはさらに悲惨で、当然その相手方親の手伝いをさせらる訳だが、「早くこれを持っていきなさい」「これはダメでしょ、こうじゃないでしょ」と、皆が聞こえるような声と言い方で「いじめ」るわけだ。本当によくやっていたと思う。

 

と言うように、端的に言ってしまえば、

「相手方、相手方親ともに、私の家族を見下していた」

 

のだろう。理由は、私の推測でしかないが、おそらく多くの田舎で生まれ育ち都会にも出たことがない人間からすると、

「長くその地にいる=地元の名家、との思い込みが少なからずあり、その思い込みだけで、周りの名家ではない人たちを”自分たちより下だ”と見下す傾向にある」

 

のではないかと思っている。そもそもの名家の定義も曖昧だがそんなことはどうでもいいのだろう。まさに、「長く住む=名家」なのだから。

私個人の感想だが、自分の実家や祖先が何をしていたかなどは対して重要ではなく、結局自分が何者で何をしているかの方が何倍も大事なはずだ。例えばこの場合、「相手方=無職、相手方親=一般公務員」、この人間に見下される覚えは何一つ無い。ちなみに、50手前になっても車も買ってもらっているその相手方の兄弟だが、これもただの会社員だ(以前年収を聞いたが、当時20代の私よりも低かった)。

ついでに言っておくと、負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、私、私の親(故人)も独立して経営をしている人間だ。それに親戚を見渡しても、経営者は数名、弁理士など、とても愉快な人たちが多い。私はこの人たちが大好きだ。

 

また話が脱線しそうだが、ともかく、こう言った人種(相手方や相手方親のような人間)はある一定の割合で存在しているような感覚だが、

  • 自分の非を認めず

  • 全てを自分以外の誰かのせいにする

  • 誰かを見下すこと

このような事でしか、自分の存在意義を見出せないような人間なのだろう。あたなの周りにも1人や2人はいるのではないだろうか。今振り返って思うと、そのような人間の周りには、やはり誰1人として慕って集まってくるような人間はいなかった。それは相手方、相手方親に対してもそうだ。表向きはそれなりに”上手く”立ち回っているつもりだったのだろうが、その行動がいちいち不快で、押し付けがましく、それを周りはわざとらしく感じるのか、その自分の思いとは裏腹に周りから敬遠されているのにも気が付かない、という非常に滑稽だったと思う。とにかく、

人間として裏表があり、陰湿

 

この一言に集約される人間たちであった。この人間に育てられる子どもが、はたしてまともに育つ確率はいかばかりなのか。想像するのも恐ろしいが、これが現実だ。

 

もちろん、上記のことは全て事実ではあるものの、あくまでも私から、と言う片側から見た人間模様でしか無いので、反対から見るとそうではないケースもあるかと思う。ただ一言付け加えておくと、私の母は争い事などは全く好まず、どちらかと言うと細かいよりもむしろ大らかなタイプの人間で、だからと言うわけではないが全くもって人から恨みを買うような人間ではない。

だからこそ、私がこのような自体になった後に母親からこのような話を聞かされ、「本当に親不孝をしてしまった」といたく反省することになったのだ。

 

また改めて、このような周りの人間の様子なども書いていこうと思う。

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