【備忘録】2回目の面会交流 2020.10.31(土)



2回目の面会交流の場所は某水族館


さて、10月28日に弁護士からの連絡があり、10月31日(土)の面会交流が決まった。

離婚が成立し、「コロナだから」を合言葉に実際の面会を先延ばしにされ、娘とは1年7ヶ月ぶり、合法的に誘拐された息子とは1年2ヶ月ぶりの再開だった9月12日の面会交流から数えて2回目の面会交流だ。

始まりにもある通り、連絡があったのが直前、一応、候補日は事前に知らせてあるにも関わらず連絡があるのがこのタイミング、まぁ相手方からすれば会わせたくないという気持ちは、なんとなくは理解が出来るが、繰り返しになるが、

「親の気持ちなど、何一つ関係がない」

 

子供が会う、親が子供にあるための権利なのだ。それを何もわかっていない。子供は「いつまでも」自分の支配下にあるものだと思い込んでいるのだろう。

また別項でも書きたいと思うが、今まで職歴がなく現在も進行形で無職のような「社会の中で何者でもない人間」というのは、やはり何らかの劣等感を周囲に対して抱いているようで、だからこの世で明確に自分より立場の弱い人間である子どもに対して、1人の人格だとは認めず、全て自分の意のままに動かすことができると思っているようだ。

それが、将来的に子どもから自分への遺恨を残すことになるとは露ほども考えない。理解ができないのだ。これは、比喩でも何でもない。失敗とはいえ何年かは無職の職歴ゼロ人間と一緒に暮らした私が実際に感じた事実だ。

 

さて話が脱線しそうになったので2回目の面会交流に戻すが、その急遽決まった内容は、

  • 場所は某水族館
  • 時間は13時〜15時の2時間
  • 集合は某水族館の入り口

というものだった。

実はこの前にもやりとりがあり、本当は某水族館ではなく、「某テーマパーク」を指定してきていた。

「某テーマパークで2時間」

 

という指定だったのだ。もちろんテーマパークなので入場料が安くないということもあるが、何よりこの「2時間」という部分に、本来であれば相手方が指定できるものでも権利があるわけがない。そもそも、

「2時間で子どもたちが楽しめると思っている」

 

ことの方が理解ができない。そもそもテーマパークなど、2時間で見回れるようには設計されていないので、当然その制限んがあるとすれば、時間ばかり気にして心から楽しむことはできないだろう。ということは、上記の通り、私と子どもたちを少しでも会わせたくないだろうことには百歩譲って理解できるにしても、そのことによって、

「子どもの楽しみを奪っている」

 

ということには、全くもって気がついていない。

どうだろうか。これが、あなた方が支持する「シングルマザー」などという、日本の制度を利用するだけで極めて利己的な連中の思考回路だ。それでもこのような、自分の都合「のみ」で離婚したシングルマザーとやらを優遇しようと思うのだろうか?ぜひそこのおじさま方、その理由とともに意見を頂けると幸いだ。

さて話を戻すと、当然そのような「テーマパークで2時間」などという馬鹿げた希望など受け入れるはずもなく拒否をし、某水族館になったということなのだが、それでも時間が足りないことは想像はしていた。繰り返すが、「子どもが楽しむ」 ことよりも、「自分が会わせたくない」という気持ち方が上位にくるような人間なのだ。

さらにここで思うのは、13時〜15時までという極めて中途半端な時間ということは、「よほど自分が暇」ということの証左だとも思う。結局、仕事などしていないのだろう。私であれば、朝から夕方まで子どもたちに遊んできてもらい、私はその時間を仕事などに当てる、ということを考えるのだが。

本当に無職は羨ましい。

 



集合場所から別れるまで 


そんなこんなで結局は某水族館に決まり、待ち合わせ場所に向かったわけだが、前から2人が歩いてきて最初は気がつかなかった。顔を上げると目の前にいたのだが、やはり最初はどんな「入り」にするのか戸惑うのか、よそよそしかったものの、5分もすれば元に戻り、

  • 「今度はどこいく」
  • 「○○がみたい」

などと普通に話してきてくれた。もっとも、子どもと親が普通に会話するなど、何ら特別なことではないのだが、相手方が子どもたちにこれまで吹き込んできた様々なことによって、子どもにとって「特別なこと」になっているのは間違いなく、そうさせた相手方の罪は極めて思いと思っている。将来的に、そのことが原因で、

  • 不登校
  • 恋人が作りにくい
  • 異性が苦手
  • 結婚に対してネガティブな印象を持つ

など、様々な影響が出てきた場合、相手方および相手方親は責任を取れるのだろうか。断言してもいいが、

「自分も非は絶対に認めない」

 

これも、社会に出る重要な理由の一つだと私が思う「社会の中での自分の立ち位置を思い知る」ということを経ていない人間たちだから。立ち位置とは、

  • 収入
  • 仕事の社会に対する影響力
  • 相対的な自分の能力

など様々だが、嫌でも自分の”位置”が理解させられる。自分より優れている人間などそれこそ星の数ほどいる。その中でも必死でもがき自分のやるべきことを見つけ、それを糧に、或いは身の程を知り、生き方が決まっていく、、、というものだと私は思っている。そこから他人への尊敬や謙虚さが身に染みて理解が出来る、生きていく上で極めて重要な過程だと思っている。ではそれを経ていない人間たちはどうなのか?

まさに上記で書いたように、極めて利己的で、自分の”立ち位置”が分からないから、いつまでも、

「自分は優れている。やればできる」

 

と、まさに小学生さながらの思考のまま止まっているのだ。これも比喩ではない。まさに私が常々感じていたものだ。本当に、「小学生・中学生で精神年齢は止まっている」のだ。これをさらに裏付けることが、この面会交流で子どもの口から聞かされた。

上の子どもと何気なく会話してきた時。

  • 私「○○(上の子どもの名前)は大きくなったら何になりたいの?」
  • 上「△△の先生」
  • 私「(・・・)」

と迷いもなく返ってきた。その「△△」というのは、再三ここでも話題にしている相手方もやっているだけの楽器なのだが、これも過去の投稿に書いた、相手方から子どもに「強制」していたもの。少なくとも、私が一緒に暮らしている時には、子どもの真剣に取り組んでいるとは言いがたく、間違いなく「相手方のため」にやっていたに過ぎないものだった。これは言質もとっているし、何度も子どもから聞いているので間違いない。それを、懲りずに「あなたも△△の先生になりなさい」と言い聞かせているのだ。



断っておくが、何も「△△の先生」をこき下ろしたい訳ではない。楽器に限らず、何かの先生になるためにはその技術は当然のこと、実績も極めて重要だ。さらに、それを仕事にしようとするのであれば、ビジネスとしての視点も当然必要になってくる。結果、「楽器の先生」というものだけでは仕事にならないので仕方なくか別の方法を模索する。もしくはその実績を作るために誰にも負けないだけの技術を身につける。いずれにせよ、その「楽器の先生」を目指せ、というのは、

「将来的に貧しくなりなさい」

 

と親が子どもに言っているのに等しい、ということだ。

これも繰り返すが、相手方は職歴ゼロ、現在進行形で無職の訳だから、それ以外のことは「何も知らない」という事情もあるかもしれない。だが、自分が現在月に1万円程度しか稼げない仕事に、わざわざ子ども就かせようとするとなれば話は別だ。逆に、

「絶対に△△の先生にはならないように!」

 

と言うのが子を思う親の役目であろう。

私は子どもから未だにこのような事を聞き、背筋が寒くなった。人間は誰しも謙虚に生きるべきだと言うことは、直接言われるまでもなく私は私のビジネスの師匠から学んだ。そこから、仕事に対する考え方も自分なり組み立てていき、何となくだが自分なりに文章化できるところまで来た。

だから今では、もし今後自分の子どもが出来るのであれば、学業の意味も私なりに説明することが出来るし、仕事についても何らかのアドバイスは出来るだろう。大したものではないにしても自分なりに経験して出来てきた「自分なりの言葉」が私にはある。これも仕事に就く重要な意味の一つだと思っているが、今でも自分の頭の中で「なぜ?」を繰り返し、自分なりにロジックを組み立てることをルーチンにしている。私の尊敬する人たちには、皆それぞれに「自分の言葉」を持っている。これも私が定義する「出来る人間」に共通のものだ。

私は、相手方以外に生涯を通して無職の人間を知らないのでサンプルがあまりに少ないとは思うが、この「小学生なみの精神年齢で止まる」と言うことはまず間違いない。何故なら、誰しもが経験をする、「社会に出て人間が形成されていく」という人間の成長を経ていない人間だからだ。だからこそ平気で大事な(おそらく、本当の意味での「大事」というのを理解していない。あくまでも全て自分が優先なのだから)子どもに対して、その数々の暴言と言っても差し支えない言葉を投げかけることができるのだ。

お別れの時に


そんな事を感じながらも、当然2時間と言う縛りなのであっという間でに時間は過ぎ、会った時に上の子どもから言われた

上「後で□□□行こうよ」

ということも時間制限により行くことも出来ずに終わりを迎える。

最後は売店で何か買ってあげようと見て回っていたが、やはり上の子どもは小学校5年生なりの感覚なのだろう。下の子どもの手前もあってか、遠慮がちだったのがまた可愛かった。

最後、別れ間際に下の子どもから、

  • 下「次はいつ??」
  • 私「来月だね〜」

というのが、偽らざる子どもの気持ちだろう。この、上記に書いた、

「子どもが親に会うことすら特別なこと」

 

と思い込ませている相手方の罪は極めて重い。もちろん、横にいる相手方弁護士、その判断を下した裁判官、執行官、調査官、あなた方も同罪だ。このブログでは実名は載せていないが、これまでの経緯、そしてこれからの経緯を見れば、誰の事を指しているか分かるだろう。

あなた方は将来、これらの事がキッカケで子どもたちに身体的・精神的に影響が出てきた時、責任を取る覚悟があるのか?絶対に、

「そのような因果関係は認められない」で逃げるだろう?

そして相手方は、

「子どもの問題だから」と金をせびってくるのだろう。

この連中の思考回路は驚くほど似通っていて、本当にこのように考えているのだから、常人にはまったくと言っていいほど理解が出来ない。

誰も何よりも優先されるべき子どもの将来を考えず、自分”だけ”の利益のための行動を起こしている。言わずもがなその自分の利益とは、

  • 相手方:自分勝手に離婚したいから相手(私)を悪者にする。そのために子どもに思ってもない事を言わせる・吹き込む
  • 相手方弁護士:無知な箱入り女を金ヅルにするからいつまでも囲っておく
  • 裁判官:判例に従う”のみ”。自分は弱い物(女親)の味方だと自己陶酔
  • 調査官・執行官:同上。「悪者退治」とすら思っている節がある。自己陶酔

この連中が、子どもの将来など何一つ考えず、このような事を優先した結果が今、だ。

 

過去にも聞いているが、

「このような職歴ゼロの乞食1人親に、あなたが子どもなら育てられたいと思うのか??」

この自分勝手な思考回路の連中にもぜひ本音を聞いてみたい。

 

そして、この問いに対するあなたの回答もお待ちしている。

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