差別を受けたことはありますか?
最近何かと話題の差別問題。ここでは今のBLMなどについて取り上げるつもりは毛頭ない。一般に「差別はダメ」と小学校でも教わるような、それこそこれもこの離婚問題と同様に一種のプロパガンダの側面も持っていると思っていて、その背景によって捉え方も考え方も様々だと思うからだ。なぜ、黒人差別のことは異常なまでに取り上げるのに、現在進行形の中国によるウイグル、チベット、内モンゴルへの人種差別について大々的に取り上げるメディアがいないのか、と言うところからして論じるに値しないと個人的には思っている。黒人差別に興味がないと言っているわけではない。それも正さなければいけない問題なのかも知れないが、その背景などについて自分なりに意見も無く、元々ある問題を取り上げずにそれ”だけ”を取り上げて話題にしている世間が異様だと言いたいだけだ。
と言うことで私が受けたものはもちろんそう言った類のことでは無く、女尊男卑とでも言うべく、逆差別についてだ。
特にここ20年くらいだろうか。男女平等が叫ばれ、女性の社会進出が、女性管理職が、などといったキーワードが取り上げられるようになったのは。やはり発端はこれだろう。
「■男女雇用機会均等法
通称「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」。制定は1985年、施工1986年。企業などの事業主が募集・採用や配置・昇進・福利厚生・定年・退職・解雇にあたり、性別を理由にした差別を禁止することなどを定めている。看護婦が看護師に、スチュワーデスが客室乗務員に名称変更されたのもこの法律による。
2007年の法改正では出産・育児などによる不利益取扱の禁止、1999年の改正で規制されていなかった男性に対する差別、さらにはセクシャルハラスメントの禁止などが規定。2017年の改正では、マタニティハラスメントに対する禁止規定が制定された。 同法では母性保護のために、企業が女性労働者の通院を妨げてはならないという規定もあり、女性の自由な働き方を後押しする。出産・育児休業の取得促進やキャリア継続などに貢献し、労働人口不足の解消に貢献している。」参照:「スマートワーク総研」
こちらの説明を読む限り、そんなものかと言う気もするのだが、誤解を恐れずに言うと、
「女性にも人権を」
と、それまで家庭に押し込まれ女性の社会進出など悪だ、と言われてきた事に対する国による是正という趣だろう。このスマートワーク総研の見解の最後の文章だけは反論したいところだが(労働人口不足の解消に貢献、というくだり)、兎にも角にもこの「男女雇用機会均等法」が発端となり、女性の社会的地位向上が叫ばれてきたことは何も悪いことではない。私が言いたいことはそこでは無く、今の過剰な女性優遇(をしようと画策しているのか)の空気感だ。
私の周りに、
「女を男と平等に扱え!!」
などと言っている人間など1人もいない。これもこう言った議論ではよく言われることだが、「男と女、それぞれの役割があって、生き方があっていいじゃない」と、私などは思う。一般的に、男性が稼いで女性が子育てをして、と言うのは思い浮かべ易い夫婦のイメージだが、そこにはもちろん女性しか子どもを産むことが出来ないという理由が大きく、例えばの出産のタイミングでキャリアを失うこともあるかも知れないし、身体的なダメージもあるとすればそれも深刻な問題だ。ただその裏側で、男性側は女性のケアはもちろんのこと、仕事をして収入を得ることで女性と子どもを養う責任を持つ必要があるはずで、まさにこれは「それぞれの役割」だと思う。
この女性の「キャリアを捨てて」と言うことも、一生涯付いて回る大変重要な問題だとも思うし、身体的な問題も同様に深刻な話だ。ただこれも、そこに国が介入することで是正される、まさに上記の男女雇用機会均等法の目的が”正しく”機能してさえいれば多くの場合は解決できるのでないかと言う話で(もちろん事はそれほど簡単ではないとは言え)、わざわざ男女の仲を分断するようなところまで飛躍しなくても良いはずだ。子育てよりもキャリアを優先する人は実際にしているし、逆に主夫と言われるように男側が家事や子育てをメインで担当する場合もある。これは別に今に始まったものではなく、昔からずっとある話だ。
なぜここ最近特に、そう言った考え方、あたかも男性を”悪”と言わんとする考えが蔓延してきているのか。もちろん私の主観ではあるのだが、まさに上記で書いたように、
「明確な意図を持って”男”を敵視し貶めようとしている」
と言う勢力が暗躍していると考えない方がおかしいと思っている。そもそも生物学的に女と男は別の生き物と言っても過言は無いだろうし、上記の通りまさに役割も違う。男が子どもを産むことは絶対に出来ないように、得手不得手はお互いにあるはずなのでまさに差別ではなく”区別”して生きていけば良いのでは無いかと私は思うのだが、その「明確な意図」が今回の主題でもある差別、と言うよりもまさに”逆差別”だ。
結婚・離婚は男にとって不利、まさに差別でしかない
これから結婚を考えている人にしてみると夢も何もあったものではないと思うかも知れないが、あまりに理不尽な裁判所の判断・考え方を経験した身からすると、まさにその制度自体、欠陥制度を言わざるを得ない。私の詳しい経緯については連番にて後々触れていくが、よくある「子の福祉」「現状維持の原則」と、もっともらしい事を言いつつ、「子どもにとって」「子どもを優先に」などと”子どもに”という枕詞が付けば思考停止に陥るかの如く、何でもありの様相だと感じる。要するに、
「子どものために○○をしている」
と言われると、○○部分には焦点がさほど当たらず、「子どものためならOKだね」というような話だ。当然これらの話は、
「女性側が言うと」
という条件付きな訳だ。
このみずほ中央法律事務所の記事や、この記事なども参考にして頂きたいのだが、これらにある「親権を決めるための条件」など言ったことも、わざわざもっともらしいことを言っているだけで、さらにこの条件の上に、
「女性であれば基本的に無条件で親権が有利」
という説明があってしかるべきだ。要するに、弁護士法人やその他の相談窓口などが言うこう言った条件は、あたかもそれに当てはまってさえいれば男性側にも親権を取得できる可能性があると感じさせるために言っている、と疑ってもさほど間違いは無いように思える。
色々な離婚のケースなどもこれから挙げていきたいと思っているが、
■パターン①
- 浮気をしたのは女性側
- 女性は親権を欲している
- 女性はそれなりに子育てはしていた
この程度の条件であれば、男性側が親権を主張したとしても、まず100%の確率で女性側に親権が渡ることを考えるだけで何となく言いたいことが伝わると思う。ためしに男性と女性を入れ替えてみよう。
■パターン①
- 浮気をしたのは男性側
- 男性は親権を欲している
- 男性はそれなりに子育てはしていた
この条件だけを見て、「この男性はけしからん!」と、特に女性は感じるだろう。「男性に親権がいくわけがない!」とも思うかも知れない。実際にこのようなケースでは、且つ女性側にネグレクトなど決定的な事情がない限り、女性側に親権は渡るわけだが、主語が女性の場合は「まぁ、女性に親権がいくのは仕方がないよね」、逆に男性が主語の場合は、「こんな男に親権がいってしまったら子供が不幸になる!」と、多くの人が感じる事自体がそもそも”異常”だ。先の、「男女平等」とやらはどこに行ってしまったのか。
特に男性で、これから離婚を有利に進めたいと思っている方は、今一度代理人などに聞いてみて欲しい。これって、本当に親権が取れますか?と。
「いや〜、きびしいとは思いますが、、、精一杯やってみましょう」
と、ほとんどの弁護士に聞いてみてもこのニュアンスから大きな違いはないだろう。
この現状が、
「男性蔑視、男性差別」
だと言わずに何と言う。悔しいがこれが現実だ。私の場合、多くの勤め人に比べてかなり有利(と言われるよう)な条件であっても、結果は同じだった事を考えると、普通の夫婦生活を過ごしてきている状態から、男性が親権を取る事など「まず無理」だと思っておいた方がいい。
私の経緯については、これからの投稿を楽しみにして頂きたい。
次回は、最近少しずつ市民権を得てきた感のある「共同親権」について、面白い記事を見つけたのでそれを題材にしたいと思う。